酒臭い阪神ベンチ、寝不足でKOのドラ1 敗戦の祈り届かず…優勝翌日の“悲劇”
1985年阪神リーグVの翌日に先発…中田良弘が抱いた複雑な心境
1985年10月16日、阪神は21年ぶりにセ・リーグ優勝を成し遂げた。敵地・神宮球場でのヤクルト戦。延長10回5-5の引き分けで決まった。V戦士の1人である元阪神右腕の中田良弘氏(野球評論家)は、この試合を祈るような思いで見ていたという。「今日は優勝しないでくれ、今日は負けろと思っていました」。翌10月17日の同カード先発が決まっていたからで「あの独特な雰囲気の中で自分が投げたかったんですよねぇ」と話した。 【画像】2人で寄り添い笑顔…阪神OBの美人妻が「可愛すぎる」 阪神が勝つか引き分けで優勝が決まる10月16日のヤクルト戦は、異様な熱気に包まれていた。「僕らが球場入りした時はもう超満員。警備員は立っているわ、すごかったですよね」と中田氏は話す。試合は3-5の9回表に阪神が4番・掛布雅之内野手の39号ソロで1点差とし、5番・岡田彰布内野手の二塁打を足掛かりに1死三塁と攻め立て、代打・佐野仙好外野手の中犠飛で同点。9回裏を中西清起投手が抑えて、延長戦に突入した。 当時のセ・リーグは延長戦の場合、試合開始から3時間20分を経過して新しいイニングに入らない規定で、延長10回5-5で終了。最後は中西が角富士夫内野手を投ゴロに打ち取って、引き分けで歓喜の瞬間を迎えた。阪神ナインとともに中田氏もグラウンドに飛び出していったが、試合中はこの日の優勝決定を全く望んでいなかったという。「今日は決めないでくれ、今日は優勝しないでくれって思っていました」と笑いながら振り返った。 「次の日に自分が先発だったんでね。だって、ああいうところで投げたいじゃないですか。独特な雰囲気の中でね。だからずっと思っていました。“今日は負けろ”って。まぁ、僕だけでしょうね。そんなふうに考えていたのはね」。そんな願いはかなわずの優勝。ビールかけの祝勝会で盛り上がった後は街に繰り出し、遅い時間まで仲間と騒いだ。そして、中田氏は予定通り、翌10月17日のヤクルト戦に先発した。 「もうその時は投げたくなかったですよ。あの頃の僕はあまり飲めなかったので、お酒の影響はなかったけど、寝不足でしたからね。大変でしたよ。ベンチは酒臭かったし……」。結果は3回5失点でKOされての敗戦投手。打者18人に2本塁打を含む7安打を許した。「そりゃあ打たれますよね。あれはしゃあないですよねぇ。先発を代えてくれればよかったのに……」と当時を思い浮かべて苦笑いを浮かべた。 阪神は西武との日本シリーズも4勝2敗で制し、球団史上初の日本一に輝いた。中田氏は第3戦(10月29日、甲子園)に先発したが、1回1/3、4失点で敗戦投手。日本シリーズは活躍できずに終わった。その日、その日に変化する肩などの状態が今ひとつの日だった。「でも結果はともかくとして、あのマウンドに先発で立てたのはうれしかったですよ。今まで怪我とかがあっても頑張ってきたご褒美じゃないけど、そんなことってそうないじゃないですか」。