西田敏行さん お墓は最愛の地元・福島ではなく東京に…所属事務所が明かした「家族思いな理由」
「西田さんは上京してからも郡山の友人たちと交流を重ね、長年地元の観光大使も務めてきました。 ’11年に福島が東日本大震災に襲われた際には、被災の3週間後に被災地へと向かっています。その半年後には、音楽仲間と郡山で野外コンサートを開催するなど、地元の復興を人一倍願っていたのも西田さんでした。 晩年、自身の死後を考える中で“遺骨を地元の福島に埋葬したい”という思いも、西田さんの中には少なからずあったでしょう」 ■家族全員で囲む食卓に憧れたマイホーム しかし、同時に西田さんには、生涯にわたって苦楽を共にした愛妻への感謝の念もあった。 「西田さんは、’73年に妻の寿子さんと出会います。自身が出演していた舞台『写楽考』を見に来た寿子さんに西田さんが一目ぼれ。猛アタックした末に、二人は同棲を始めました。 しかしまだ駆け出しの役者だった西田さんには収入はないも同然。寿子さんにも喫茶店のアルバイトをしてもらって生活費を賄っていたそうです。 ’74年に二人は結婚。黄色のトパーズの結婚指輪を買ったそうですが、『パールは高すぎて買えない…』と悩んでいる西田さんに、寿子さんが『あなたの誕生石でいいわ』と助け舟を出してくれたのです」(前出・芸能関係者) 前出の西田さんの知人が明かす。 「西田さんは、入籍して二人の娘さんが生まれた後、養父母の老後や娘さんたちの教育を見据えて、思い切って都内に5LDKのマイホームを買ったそうなのです。 家族全員が食卓を囲むという生活に憧れていた西田さんですから、最終的に故郷ではなく、都内のお墓を選んだのには、“いつでも会いに来てほしい”という強い思いがあったのでしょう」 お墓について、本誌の取材に西田さんの所属事務所はこのように答えた。 「西田さんが埋葬された東京のお墓には、彼の養母や養父の遺骨も納められています。地元への思いは強かったものの、西田さんは、奥さんと出会い、ご家族と長年過ごされた東京を自らの眠る場所として選ばれたようです」 お墓がある寺院は、西田さんの自宅から車で15分ほどの距離にある。天国の西田さんはこれからも愛妻を優しく見守り続けてゆくに違いない――。
「女性自身」2024年12月24日・12月31日合併号