玉城千春、原点に回帰 子供たちのため「歌を作りたい」 Kiroro再開はまだ先
母への「贈り物」として初めて作った歌が「未来へ」だった。Kiroro(キロロ)で発表し、大ヒットしたのが26年前。今、子供たちへの贈り物として歌を作る喜びを見つけた玉城千春(47)。故郷・沖縄で、13年ぶりのソロアルバムを作り、「心から曲を作りたいと思える原点に回帰できた」と笑顔で語る。 【写真】マレーシアの児童養護施設で長男、長女の伴奏で歌う玉城千春 ■子供たちとともに アルバムは「WITH YOU」(ビクターエンタテインメント)。7曲を収め、原則デジタル配信のみだが、イベント会場などで手売りする分のCDはプレスした。 アルバムを作ろうと思い立ったのは「子供たち」のためだ。 玉城は2019年からマレーシアの児童養護施設の子供たちと音楽で交流する活動に取り組み、沖縄県内の施設の子供たちとマレーシアを訪れるなどしている。 一方、沖縄県内の小中学校を回って歌を聴かせる「特別授業」も行っている。 「特別授業」は、20年に母校の中学校から相談され、病気で亡くなった生徒の生きた証として植樹された「命の樹」と名づけた桜の木を題材とした歌「命の樹」を書き上げたことがきっかけで始めた。 「私も悩みながら夢をかなえましたが、そういう姿を見てもらい、自分はこれをやりたいのだという気持ちを大切にしてと伝えたい」と特別授業に取り組む思いを語る。 多くの児童生徒らと出会い、ともに歌詞を考えるなどして、「Hope Dream Future」、「あの人の声」という歌が生まれた。今、玉城の音楽は、子供たちとともにある。 ■母へ 高校の同級生だった金城綾乃(47)と2人組のキロロとして1998年に「長い間」でデビューした。一躍人気者となった。2枚目のシングルが「未来へ」。これは玉城が中学生の頃、風邪をひいた母親のため生まれて初めて作った歌だった。 「今、あの頃と同様、自発的に歌を作りたい気持ちを取り戻しているんです。この状態でどこまで行けるか挑戦してみたい」 それらの歌を収めた今回のアルバムは、自身がプロデュースし、スタジオの手配もし、沖縄で録音した。自主制作に近い作り方だ。