韓国大統領の戒厳令は「政治的自殺」だったのか、戒厳令が出された理由がわからないまま
尹錫悦大統領が2024年12月3日深夜に戒厳令を宣布したが、戒厳令を出した理由とその過程については、いまだに納得できる理由が示されていない。一部では「大統領の政治的自殺」という見方も出ているほどだ。 尹大統領は沈黙を続け、戒厳令を出した背景について百家争鳴の中、夫人である金建希(キム・ゴンヒ)氏がかかわる不正疑惑を捜査する「特別検察法」が国会で議決される可能性が高かったことが、尹大統領にかなりの圧力になっていたのではないかという指摘が注目されている。
■野党からの政治攻勢が負担に? 尹大統領は12月4日午前1時頃に国会が「非常戒厳解除要求決議案」を通過させ、その3時間半後となる同日午前4時27分に戒厳令の解除を発表した。国会議員の過半数の賛成で戒厳令の解除を要求すれば、これを解除しなければならないという憲法第77条による措置だった。 2024年8月ごろ、最大野党「共に民主党」が戒厳令の可能性を取りあげたことがあった。これが広く知られていたため、尹大統領が憲法の規定を知らなかったという可能性は低い。
それにもかかわらず、尹大統領はなぜ戒厳令を出したのか。与党「国民の力」のある関係者は、「野党による弾劾、立法、予算案審議の遅れに対し『これ以上、我慢できない』と考えて戒厳令を出したのでは」と説明する。 もしそうなら、国政がまひしてこれ以上の混乱を避けるために、「憲法の守護者」として不可避な決定を下したということだ。 この関係者は閣議などで合法的な措置を行い、戒厳軍には空砲だけを支給したと明らかにしたうえで、「もしかしたら、大統領はそこまで思い詰めていたのかも」と言う。
しかし、「憲法の守護者」として戒厳令を宣布したという説明を、そのまま受け入れることは難しい。 一部では、金建希氏に対する特別検察法が再議決されるのを前に、与党からこれに賛同する議員が出てくる可能性を恐れて「政局全体を思い切って変えてやろう」と政治的に無理な決断をしたのではという見方もある。 また、尹大統領夫妻が2024年の総選挙で公認候補者選びに介入したという疑惑が浮上したままだが、この疑惑のキーパーソンとなるミョン・テギュン氏が拘束・起訴されたことも、決断に影響したのではという指摘も出ている。