「満喫するには1人あたり数万かかる」「ホテル宿泊も必須」…。「すっかり高くなったディズニー」に抱く“寂しさ”の正体
デフレが終わり、あらゆる物が高くなっていく東京。企業は訪日客に目を向け、金のない日本人は“静かに排除”されつつある。この狂った街を、我々はどう生き抜けばいいのか? 新著『ニセコ化するニッポン』が話題を集める、“今一番、東京に詳しい”気鋭の都市ジャーナリストによる短期集中連載。 【画像9枚】ディズニーで起きる「金持ちへの注力」 先日、『ディズニーで進む「デジタル音痴の排除」の真因 資本主義の加速で「機械が人を選ぶ」時代に?』という記事を書いた。 東京ディズニーリゾートのチケット代は上昇し続けており、ある程度裕福でなければそこで遊べなくなった。また、コロナ以後取り入れられたアプリのシステムによって、デジタル機器を使いこなせない人もパークを楽しめない。
記事では、こうした取り組みによってオリエンタルランドは「客層のコントロール」を行っているのではないか、と指摘した。 記事に寄せられたさまざまなコメントの中で目立ったのは「変わっていくディズニーに対する寂しさ」を語るもの。ディズニーの政策に理解を示しつつも、どこか寂しさがあるのだ。 実はこの感想は現在のディズニーリゾート、さらには日本の社会のあり方を考えるうえでも重要な意見である。 ■「量から質へ」は必然的な流れ
大前提として、ディズニーが「客層の選択」を行うのは責められないし、仕方のない側面がある。 【画像9枚】ディズニーで起きる「金持ちへの注力」と、訪日客の街・ニセコで筆者が見た“驚きの光景” さまざまな娯楽が普及し、テーマパーク以外に多くの選択肢がある現在、ディズニーとしては、たくさんの人々を入れるよりも、よりその場所で多くの消費をしてくれる人に対してマーケティングを行う必要がある。 この方向はオリエンタルランドも「量から質へ」という方向で認めているところで、現代では必然的な流れだともいえる。ビジネスの展開として正しいし、筆者もことさらこの方向を否定するつもりはない。