“拉致47年”めぐみさんへ──支え合った曽我ひとみさんの願い 「私だと思って…」贈られた赤いバッグ 北朝鮮で支え合った日々語る
■招待所を出る時に渡されたバッグ
結婚を機に招待所を出ていくことになったひとみさんに、めぐみさんがあるものを渡したといいます。 ひとみさん 「めぐみさんが拉致された時に持っていた赤いスポーツバッグがあって、めぐみさんがすごくそれを大切に使っていたんですけど、そのかばんを私に差し出して『私だと思って持っていって』って言われて」 「でも『いやこんな大切なものを私がもらっていいの?』って言ったら、『うん、いいんだよ』って言って。『わかったありがとう』って言って。『大切にするね』『忘れないよ』って。それでいただいて」 「お店にも買い物に行く時には必ずかばんを持っていって、もしかしたら近くで話すことはできないかもしれないけど、遠くからでも、私があげたかばんを大切に使ってくれているんだな、というのを見てもらえたらいいなと」 それ以降、2人が会うことはかないませんでした。
■めぐみさんの姿なく…指導員の答えは
今回の取材でひとみさんは、帰国直前に北朝鮮の指導員との間であったやり取りについて、初めて自らの口で語りました。 帰国することになった拉致被害者5人が事前に集められた際、一緒に帰れると信じていためぐみさんの姿がそこになかったことに驚いたといいます。「あれ、どうしてめぐみさんいないのかなって。すごく心配になりました」とひとみさんは振り返ります。 帰り際、一緒にいた指導員に、めぐみさんが帰国できるメンバーになぜ入っていないのか尋ねたところ、「自分たちにはわからない」という答えだったといいます。
■ひとみさん「日朝首脳会談の実現を」
日本への帰国から22年。ひとみさんは、拉致被害者の帰国を訴え続けています。一緒に拉致された母ミヨシさんは現在、92歳になりました。 ひとみさん 「本当に時間ばかりがすぎてしまって、やるせないです。石破首相には、日朝首脳会談を一日も早く実現していただいて、この問題が一日も早く解決して、みんなが愛する家族のもとに帰ってくることができるようにしてほしい」
■「絶対に迎えが来る」「あきらめない」
そして、自らも拉致されたからこその思いも語りました。 ひとみさん 「本当に(北朝鮮での)生活は大変だと思うんですけど、どんなことがあってもあきらめてしまったらおしまいなので。絶対にあきらめずに、絶対に迎えが来るので、それまでは元気でいてほしいとずっと思っています」 「(めぐみさんも迎えが来るのを)もちろん待っています。お母さん(早紀江さん)に会いたいだろうし、ずっと会える日を楽しみに頑張っていると思うので。あきらめない。あきらめないです」 (11月15日『news every.』より)