【プロ1年目物語】「20世紀最後の大物野手」黄金新人・井口資仁、衝撃の満塁弾デビューがもたらした“苦悩”とは?
どんな名選手や大御所監督にもプロの世界での「始まりの1年」がある。鮮烈デビューを飾った者、プロの壁にぶつかり苦戦をした者、低評価をはね返した苦労人まで――。まだ何者でもなかった男たちの駆け出しの物語をライターの中溝康隆氏がつづっていく。 【選手データ】井口資仁 プロフィール・通算成績
「世界を見ながら野球をしたい」
その男は新人選手としては史上初めて、プロデビュー戦で満塁ホームランを放ってみせた。 だが、結果的にその劇的な一発が、ゴールデンルーキー井口資仁をしばらく苦しめることになる。井口は青山学院大学で三冠王やMVPを獲得、東都大学リーグ記録の通算24本塁打を放った三拍子揃ったショートストップである。2024年ドラフト会議で“20年に1人の逸材”と称された明治大の遊撃手・宗山塁のように、あの頃の井口もまた「20世紀最後の大物野手」と注目されるスタープレーヤーだった。
青学3年時、週刊ベースボール1996年1月8・15日号の「96年の主役」コーナーに登場。青学リーグ優勝祝賀会には12球団のスカウトに加え、巨人保科昭彦代表、ダイエー中内正オーナー代行らも駆けつけ全球団のメンツをかけた井口争奪レースの様子をリポートしている。大学生ながらその夏のアトランタ五輪野球日本代表に選出され銀メダルに輝くと同時に、キューバ代表のパワーとスピードが融合した野球に世界の広さを肌で感じた。日米大学野球選手権のアメリカ遠征中にメジャー・リーグの試合を観戦に出かけるなど、1974年生まれの井口は将来のメジャー挑戦をはっきりと目標に掲げた最初の世代でもあった。 当時は逆指名ドラフトで、各球団のアプローチ合戦も熾烈を極めた。「西武と巨人のドラフト10年戦争」(坂井保之・永谷脩/宝島社)によれば、遠征時の飲み食いで好きに使っていいとクレジットカードを渡した球団もあれば、ダイエーも負けじと新たに開店するコンビニの権利を譲り渡し、将来的なメジャー行きの約束手形も出したという。井口はそこまでしてもほしい逸材だったのである。最終的に長嶋茂雄監督自らラブコールを送る巨人、井口が幼少期からファンだという中日との三つ巴の争奪戦を制したのは、青学の先輩・小久保裕紀のいる福岡ダイエーホークスだった。週ベ96年12月2日号では早くもダイエーのユニフォーム姿で表紙を飾り、その決断の理由を語っている。 「小久保さんともう一度、一緒にプレーしたいという気持ちもありましたし、日本だけではなく世界を見ながら野球をしたいという考えが中内正オーナー代行と一致したというのが一番の理由です」