<躍進の先に―22センバツ日大三島>/下 1球が勝負を分ける 「意識改革」チームに浸透 /静岡
「同じミスを何回するんだ」「お前(のミス)で負けるんだぞ」。ミスをした選手に、チームメートから容赦ない声が飛ぶ。 2月上旬、ナインは10球連続で無失策を達成すれば終了する「ノーエラーノック」に臨んでいた。自チームが1点を勝ち越した状況で、九回裏2死三塁を想定。一つの失策で同点に追いつかれる緊迫した場面だ。1人の選手がエラーや悪送球をすると、腰を落とした状態で捕球動作を繰り返しながらベースを1周する“罰走”が、全員に課される。 この日、ひときわ厳しい声をかけられていた小川真旺(まお)(1年)は「『1球で負ける』という緊張感が試合に生きる」と実感する。重圧がかかる中、「1球へのこだわり」をチームに浸透させるのが、この練習の目的だ。 「昨シーズンが始まった時、ミスをした選手にかける言葉は『ドンマイ』だった」。加藤大登主将(2年)は、自身が1年だった2020年秋を振り返る。京井聖奈(せな)(2年)も20年秋は「監督がミスを指摘してから、自分たちも続いていた」と語る。選手たちの変化は、永田裕治監督(58)が徹底して取り組んだ「意識改革」が背景にある。 かつて強豪・報徳学園(兵庫)を率いた永田監督は、20年4月に日大三島に赴任した。現在の2年が入部したのと同じ時期だ。「厳しい雰囲気の土台をつくるのはお前たち(現2年)の代からだ」。20年秋から永田監督の本格的なチームづくりが始まった。だが、直後の秋季県大会は2回戦で敗退。「県大会に行けてよかったと思っていた」(加藤主将)ところからのスタートだった。 永田監督は「おとなしかった」選手たちに対して「勝負へのこだわり」を植え付けることに腐心した。ノックや送りバントの手本を見せる際は、自らボールに飛び込み、練習着を泥だらけにした。 永田監督の体を張った指導に刺激を受けた選手たちは「おいて行かれたくない」と、必死に食らいついた。ナインは同時に「『ドンマイ』だと、甘い」と気づいた。「『ドンマイ』で負けたら後悔する。1球が勝負を分けるかもしれない」(加藤主将)。次第に、お互いに厳しい声をかけるようになった。 永田監督は「チームの一体感」も大切にしてきた。特定の選手を特別扱いしない。全員が同じ練習メニューに取り組み、常に「チャンスは平等だ」と言い聞かせた。それが、チーム内に競争意識を芽生えさせた。 通常の練習以外のところで、どれだけ差をつけられるか。20年秋にレギュラーだけしか取り組んでいなかった朝練習や自主練習は、今や全員が参加するのが当たり前になった。始発で登校し、学校の開門前から走り込みを始める選手もいるほどだ。 センバツ出場が決まった1月28日。永田監督は選手たちの意識の変化について「まだまだ足りない」と話した。「意識はすぐに変わると思ってやってきた。でも、なかなか変わらなかった」とも。 それでも、加藤主将は「38年ぶりの1勝だけでなく、夏につながる試合をしたい」と意気込む。1年半前は「県大会に行けて良かった」と思っていたチームは、センバツでの勝利、さらにその先を見据えるほどに、着実に成長している。【深野麟之介】