日本の植民地支配は「現代人には関係ない」のか。エンタメ・美容・食だけじゃない、韓国の街と市民運動に学ぶこと
「現代人には、差別と排除の構造を解体していく責任がある」
ーー歴史は、政治や外交の問題ではなくて人権の問題だと、本でも繰り返し書かれていますね。 牛木:ゼミのメンバーで本を作る過程で、全ての歴史の問題を考える上では「人権」の視点が大事だという共通理解がありました。私はこの一年、高校で非常勤講師として日本史の授業を教えていたのですが、10代の子どもたちの中にも、歴史の問題は国同士、政府同士の外交上の問題だという認識があり、被害者の存在が欠如してしまっていることに愕然としたことがありました。 日本軍「慰安婦」問題などにおいても、被害者の人権の回復は必ず実現されなければいけません。その目的に向かって事態を前に進めるのなら、もちろん日本人と、それ以外の人々で、向き合い方、アプローチの仕方は異なりますが、「人権の回復」という目的を共有していれば、本来対立する必要はないと思います。 ーー日本の植民地支配をめぐっては、「過去の政府がやったことで自分には関係ない」「終わったことだ」という言説もありますが、本書では、「連累」という言葉で、現代を生きる私たちとの繋がりを説明しています。 熊野:自分自身も以前は「過去の政府の行いに、自分の責任はあるのか」と疑問を抱いていましたが、その時に知ったのが、オーストラリアの歴史学者テッサ・モーリス=スズキさんが提唱した「連累」でした。 連累とは、侵略や植民地支配など過去の過ちを犯した当人ではない現代人に、その直接的な責任はない、としつつ、「不正義を生んだ社会に生き、差別の構造に今も乗っかって利益を得たり、歴史の風化のプロセスには当事者として関わっていたりするため、過去とは無関係でいられない」という考え方です。現代人は加害の歴史を繰り返さないよう記憶して、差別と排除の構造を解体していく責任があるーーとモーリス=スズキさんは指摘しています。 「慰安婦」にさせられた女性たちの証言には、「二度と繰り返さないでほしい」という言葉が何度も出てきます。歴史というと、一見過去の問題に思えるけれど、その歴史を記憶し、問題を解決することができるのは、今を生きている自分たち現代人だけです。もし仮に自分たちが解決を先延ばしにしたら、また未来に同じような問題が起きるかもしれません。 朝倉:韓国で日本軍「慰安婦」問題や在日朝鮮人をめぐる問題の活動などに関わっていると、「なぜ日本人のあなたが日本の植民地支配を批判したり、朝鮮に対する差別に声をあげたりするのか」と聞かれたことがありました。「連累」は、過去の不正義が正されず、差別や偏見がある今の社会でどう生きていくかということを示してくれる考え方だと思います。 日本社会での政治との関わりにおいても、私には選挙権があるけれど日本国籍を持たない外国にルーツのある人には、選挙権がありません。だからこそ、自分自身が加害や差別に加担しないために、歴史ときちんと向き合い、問題を解決しようとしない国の態度に反対するなど、行動を起こしていかなければいけないと思っています。