鹿児島・沖縄の糖業 迫られる変革 課題抱えつつ今冬操業へ
鹿児島、沖縄両県の主要製糖24工場は、時間外労働(残業)の上限規制クリアに向け試行錯誤を続けている。一定のめどが付いた工場もあれば、対処手法は製糖期従業員(季節工)の集まり方次第という工場もある。操業計画策定に当たっては、原料サトウキビの出来具合という材料に、残業規制への適応という留意事項が加わる。残業規制は1年限りではない。影響は農家や集荷事業者などにも及ぶ可能性がある。 両県24工場の中で、1990年代末から2000年代初めにかけて、歴史が途切れた工場が一つ、途切れかけた工場が一つある。 沖縄県伊江島は葉タバコや花卉(かき)など収益性の高い農業構造への転換で、キビ減産が続き、2003―04年期で地元農協が設置・運営していた分蜜糖(粗糖)工場が閉鎖された。最盛期の1980年代初頭は5万トン超だったキビ収量は1万トンを割っていた。 現在の伊江村黒糖工場の友寄孝明工場長(JAおきなわ伊江支店加工部長)によると、原料が減ったための工場閉鎖で、最後の製糖期は農家の収穫ペースを勘案し、休業を挟みながら操業した。以降、島のキビは海上輸送で本島の工場へ運んだ。 製糖は2011年、村設置、JA運営の黒糖工場として再開。島内の循環型農業の再構築気運の高まりや製糖工場の存在意義の再評価などが要因となった。23年産のキビ収量は6千トン台で、往時の比ではないが、製糖期は島外からの季節工を含め約100人が工場で働く。「欠かせない存在。それはほとんどの島民の共通認識だと思う」と友寄工場長。 沖永良部島のキビ作は病害虫や台風の被害、他作物との競合などで1990年代末から2000年代初めにかけて低迷した。南栄糖業は、筆頭株主の経営破たんもあり、存続の危機に直面した。 同社は島を挙げての支援で再興した。和泊町、知名町とJAは再建計画に伴う覚書に調印。両町は「キビの最低生産量5万3000トン」を約束し、債務保証も行った。同社は本社を東京から島に移し、社員を大幅に減らした。 23年産キビは収穫面積1700ヘクタール、収量8万6623トン。低迷期の2倍になった。武吉治社長によると、累積債務は7年ほど前に完済した。 武社長は和泊町の元経済課長。19年3月に定年退職し、南栄糖業入り。同年9月取締役、21年から代表取締役社長。町職の半分は農政担当の経済課で、キビの盛衰に接してきた。 「『キビなんかいらんよ』という人もいたんですよ。でもね結局、年とって知り合いに任せる人を含めて、島の農家は島の畑を生かす方向に動く。農業に対する熱意だと思う。沖永良部は農業が生業(なりわい)なんです」 沖永良部のキビ作は病害虫防除技術の確立と、それによる株出し面積の拡大、さらに機械化の進展があいまって、ここ10年安定している。武社長は同社の現在の役割として①農家が安心してキビ栽培できる島づくり②安全に安定して操業できる工場づくり―を挙げた。工場は3交代制を継続する。 人口減への懸念も当然あるが、島にキビ作は欠かせないという信念がある。「超高齢化へと進展していく中でも、価格が安定した土地利用型の基幹作物は必要。それがキビ。農家がいて、収穫機械を操作するオペレーターがいて、農協が輸送業者と集荷して、工場で加工して、粗糖を出荷販売する。経済面、環境面どちらも循環型の仕組み。一つでも欠けたらだめなんです」 ◇ 鹿児島、沖縄両県の製糖業に対する、働き方改革関連法に基づく残業の上限規制は24―25年期から本格的に適用される。24工場は操業に向け、季節工の募集を始めた。 =おわり=
奄美の南海日日新聞