大規模金融緩和「副作用を覚悟で踏み切った」 元日銀副総裁の中曽氏
日本銀行副総裁を務めた中曽(なかそ)宏・大和総研理事長が朝日新聞のインタビューに応じ、物価が下がり続けるデフレからの脱却を目指した過去25年の金融緩和策について「副作用も認識していたが、踏み込まない選択肢はなかった」と語った。現在の日銀は利上げ局面に入り、脱デフレに向けた金融政策は「使命をほぼ果たした」とする一方、政府による成長戦略や財政再建は「十分な成果が上がったとは言えない」とした。 【写真】インタビューに応じる中曽宏・元日銀副総裁=2024年12月10日午後2時30分、東京都千代田区、上田幸一撮影 取材は10日、日銀が過去25年間の金融緩和策を検証する「多角的レビュー」を19日に公表したのに先立ち実施した。中曽氏は2013年から5年間、黒田東彦(はるひこ)前総裁の下で副総裁を務めた。 日銀は13年4月、アベノミクスの柱として「異次元」の金融緩和を開始。大量の国債買い入れや、上場投資信託(ETF)の購入などを推し進めた。中曽氏は「『何とかしなくてはいけない』という思いから、局面打開を目指して副作用を覚悟で踏み切った」と振り返った。 だが、当初2年程度での実現をめざした物価上昇率2%の目標は実現できなかった。「短期決戦の作戦とは裏腹に、思ったように物価は上がらなかった」 日銀は16年1月にマイナス金利政策、同年9月には、長期金利を抑え込むイールドカーブ・コントロール(YCC)の導入を決めた。 中曽氏は「課題や限界に直面するたびに、新たな仕組みを導入して最善を尽くしてきたつもりだ」とし、世界でも異例とされたYCCは「試行錯誤を繰り返して私たちがたどり着いた非伝統的金融政策の最終型だった」とした。 それでも中曽氏の任期中に物価目標は達成できず、物価上昇率が2%を超えたのは22年2月のロシアによるウクライナ侵攻が契機だった。
朝日新聞社