<東京モーターショー>日産とベンツにみる「自動運転」観の違い
今年の「東京モーターショー」で目を引いたものの一つは、自動運転だろう。その手のものに熱心な自動車メーカー各社は2020年までには自動運転のクルマを発売するつもりで開発を進めている。 【図】人間より快適?「クルマ任せ」ではない自動運転の未来 メーカーの都合はともかく、行政が自動運転に注目し始めた理由はやはり事故の低減だ。日本国内の自動車事故による死亡者は、1970年に1万6765人のピークを記録したが、シートベルト、エアバッグ、車両コントロールなど、自動車の安全装備が充実するに連れて減少し、2014年には4113人まで下がった。自動ブレーキの普及でさらに下がるだろう。しかしそれ以上に下げるためには、どうしてもヒューマンエラーの排除が不可欠になってくる。自動運転というと安楽な移動というイメージがあるが、最も重要なのはこのヒューマンエラーの排除によって「事故ゼロ」を目指せる可能性にある。 そうした背景があるから、自動運転への流れはもう止まらないだろう。当然今回のモーターショーでも自動運転車の実現に向けての展示が数多くあった。またボッシュ、デンソー、コンチネンタルなどのサプライヤーからも関連展示があり、これからしばらく自動運転ジャンルでの激しい開発競争が続くであろうことが予想される。
自動運転におけるメーカーの社会的責任
一方、ここ数日テスラのオートパイロット機能についてのニュースが飛び交っている。北米で、オートパイロットに運転を任せてドライバーが運転を放棄する様子を映した多数の動画がサイトに投稿されて大きな問題になっているのだ。ドライバーが前方から目を離して新聞を読んだり、リアシートに移って運転手付きのクルマ気分を味わったり、チェスを楽しんでいるものまであるという。 もちろん、テスラはこういう使用方法は認めていない。テスラのオートパイロットはあくまでもドライバーアシストであり、事故が起きてもテスラとしては一切責任を負わないと声明を出している。しかし、筆者の感想で言えば、インフラ整備や法的問題のクリア、ユーザー教育の段階を飛び越えて「出来る範囲で自動運転」を提供するテスラの側にも問題はある。志はどうあろうとそれは現実的に事故ゼロを目指すものではないからだ。 付け加えれば、その程度の自動運転なら他の自動車メーカーもとっくに提供できていた。しかし、レーダークルーズなどによって、加減速を自動化しても、最後の砦として、ステアリングはあくまでも振動による警告や車線逸脱直前の補助レベルに止めていたのである。 法整備やドライバー教育といった周辺整備を待たずに自動ステアリングを搭載すれば、事故ゼロという目標に逆行するのが目に見えていたからだ。それは社会への責任感の現れだと思う。 テスラにはどうもIT企業的側面があり、とりあえず出来たものを市場にリリースして、走りながら直していけばいいと考えているように思える。確かにそういうやり方が進歩を促進する側面はあるのだが、一歩間違えば世界に先駆けて自動運転の危険性を喧伝し、自動運転の未来そのものを終わらせてしまう可能性がある。 ベータ版(試作)的技術を、他社に先駆けて不完全なままリリースして、あたかも先進的技術があるようなイメージを持たせるやり方は、少なくとも人命が関わるクルマの世界には馴染まない。早期に改めた方がいいと思う。 残り10%の作り込みはそこまでの90%よりはるかに難しい。そこをきちんとやらなければテスラは自動車メーカーとして徒花で終わってしまう。幅広いユーザーが使いこなせるところまで熟成させない限り、他の自動車メーカーと同等のレベルで彼らの製品をみることはできない。それは車両制御コンピュータのオンラインアップデートなどでも同じことだ。「技術の進歩には犠牲はつきもの」という時代かどうか一考を促したい。