田家秀樹が振り返る、宇多田ヒカル、BUMP OF CHICKENのデビュー・アルバム
非凡さが詰まっているアルバム
time will tell / 宇多田ヒカル 1998年の12月9日に出たシングル『Automatic』のB面ですね。今日どっちにしようかと思ったんですね。デビューの特集をするわけですから、「Automatic」を入れないわけにはいかないかなとも思ったりもしたんですけど、あらためてずっとアルバムを聴いていると、この曲がとっても印象に残った。そして、なんと言っても時間について歌っている。時間が経てばわかるよ、そんなに焦らなくていい、時間が経てばわかるよ、明日へのずるい近道はないって歌っている。このフレーズを新生活応援と銘打ったときにはご紹介しないわけにはいかないだろうと。 レコーディングしたときは14歳から15歳。それであの震えるようなヴォーカルですよ。そしてこの時間に対しての考え方。時間が経てばわかるよと15歳の子に言われている。明日へのずるい近道はないよと。この子はどういう人生を送ってきたんだろうと考えたくなるようなフレーズでもありますね。宇多田ヒカルさんは1983年1月生まれですからね。『Automatic』は年間シングルチャート2位だったんです。1位はなんだったか覚えてます? 『だんご3兄弟』ですよ。そういう時代だったんですね。誰も聴いたことがない歌だと衝撃を受けた人たちがたくさんいたわけですけども、世の中はそうじゃないものが流行っていた。アルバムが出たからシングルのセールスが止まったということはあるんでしょうけど、やっぱり最初から次元が違ったんだなとあらためて思わせてくれる、そんな非凡さが詰まっているアルバムでもあります。この曲もそんな1曲ですね。7曲目「Never Let Go」。 Never Let Go / 宇多田ヒカル この歌の中にもこんなフレーズがありました。「真実は最高の嘘に隠して、現実は極上の夢でごまかそう」。これを15歳の子が書いた。さっき明日へのずるい近道はないって歌ってましたけども、彼女もそういう意味では近道を全然通ろうとしてこなかった人ですね。 宇多田ヒカルさん、音楽史に残るデビュー伝説ですけど、お母さんの藤圭子さんとお父さんの宇多田照實さんと家族ユニットを組んでいた。U3。1995年にCubic Uとしてインディーズでデビューして、アメリカやイギリスでも発売してる。でも、あまり評判にならなくて。日本でも藤圭子 with Cubic Uでレコードも出している。これもほとんど話題にもならなかった。母親が歌手というのは珍しくないわけですけど、彼女はそういう意味では最初から海外を見たり、スタジオで物心がついた。所謂、日本の生活、六三制の教育がとか、全然そこにいないんですね。そういう意味ではボヘミアン、アウトロー、自分でも言っていますけども、 そういう始まりの中で音楽だけずっとやっていて、Cubic Uでレコーディングをしているときに、たまたま隣にいたスタジオのプロデューサーに日本語で歌ってみれば?と言われて書いた。それがこの「Never Let Go」だった。日本語で歌ってみれば? という一言がなかったら、彼女は日本語でやってないでしょうね。そういうふうに言われて、私だって書けるわよということで書いてみたのが、こうなってしまっているわけですからね。それまで物心ついてから14~15歳まで全然近道をしないで、先が見えない、でも家族だからということで音楽の世界にずっと生きてきた人。こういう人も前例がないわけですけども、それがその後の生き方にも表れていますね。リズム&ブルースの女王みたいな言われ方をしましたけども、彼女はそれをあまり気に入っていなくて。私はそれだけではないわよっていうことがあって、人間宣言してお休みをしちゃったわけですが。復活以降の曲というのは「Never Let Go」のテイストに近いのかなと思ったりもしてあらためて聴きました。 Give Me A Reason / 宇多田ヒカル アルバム特集という形じゃないと、なかなか流れない曲の1曲でしょうね。15歳の本音と言いましょうか。たった一人の15歳の誓い。すべての法則を裏切ってみせる、例えそれが運命だとしてももう立ち止まることを恐れない。そうやって自分を奮い立たせていたのかもしれませんが、25年前ですね。音楽史上、最も感受性と才能が豊かだった15歳と言って過言ではないかもしれません。 ただ、宇多田さんのデビューも、僕ちゃんと立ち会えてないんです。なぜかと言うと、そのときGLAYの「TOUR ’98 “pure soul”」について回っていたんです。宇多田さんのデビュー前後はそのツアーの後半で一番大変なときで、東京では何があったとかあまり耳に入っていなかった。家内がラジオでとんでもないものが流れているわよって言って、え、それ誰、何?って聞いたのが最初でした。やっぱりラジオからしか流れないという意味でも、宇多田さんのデビューは歴史的な意味があったと思います。本当に音楽の好きな人がまず耳をそばだてて、誰?宇多田ヒカル?え、何者? しばらく経ってから、藤圭子さんの娘と知ってひっくり返ったという。あらためて聴いても、こんなに色っぽくて濡れていて切なくて、悲しくて、それでいて奥行きのある女性ヴォーカル、未だにこれ以上の人は美空ひばりさんかなぐらいしか思い浮かびません。