「千年古びない浮気描写」の妙を角田光代と語る 源氏物語の新訳に挑んだ5年がもたらしたもの
源氏物語は紫式部が1人で書いたという前提で考えると、その過程で、式部という人は物語づくりがどんどんうまくなっていくんですね。 最初は拙い短編のような感じなんですが、宮中にお勤めして、日々きらびやかな世界を見て、いろいろな人の話も聞いて盛り込んでいったのでしょう。読者の反応も届くようになったと思うんですが、そうするとそれに応えるかのように、さらにエンターテインメント性を帯びていきます。 とくに「若菜」の帖はすっごく面白い。作家としてまさに脂が乗り切っているな! と感じました。現代小説でいう、伏線があって回収して……という流れが詰め込まれていて、さらに人間の複雑な気持ちもしっかり描かれている。すごい完成度だと思いました。
この感じ、現代の作家にも重なります。1人の作家がデビューして、編集者や評論にもまれながら一生懸命勉強して、成長していく。昔も今と同じだったのではないかと想像します。 ■なぜ「光源氏の死後」まで物語が続いた? ――そのピークを過ぎても、源氏物語は続いていきます。 そうですね。あるところから、具体的には「宇治十帖」のパートですが、紫式部は皆を喜ばせるためじゃなく、仕事を失わないためでもなく、自分のために書き始めたような気がします。これは先に紹介した山本淳子先生の話などを聞くにつけ、最近強く思うようになったことです。
読者として不思議なのは、源氏物語なのだから光源氏が死んだところで終わっていいじゃないか、ということ。でも、終わらなかった。そう考えると、作者に光源氏の栄光よりもっと書きたいものがあったんじゃないかと思わずにいられません。 「宇治十帖」みたいな地味で人間臭い話が、宮廷で続きを待っていた人たちを喜ばせるはずはないと思うんですね。するとやっぱり、ここは本人が書きたくて書いたパートなんじゃないかなと思うようになりました。
――現代訳に取り組んだ5年間をどう振り返りますか。 とにかく長い、終わらないというのが大変でした。自身のスタイルとして、以前から基本的には平日9~5時で仕事をしてきましたが、それでは全然終わらない。残業しまくり、休日出勤しまくりの日々でした。 その間、エッセイの仕事は多少続けていたものの、小説はいっさい書く余裕がなく。それだけ長い期間小説を書かないでいるのはデビュー以来初だったので、大丈夫なのかなという点も、けっこうつらかったですね。