先進国の上から目線の「人権の押し付け」に気を付けよ
「グローバルサウス」という言葉が注目されるようになって1年以上がたつ。当初は「南半球に多い途上国・新興国」という注記が添えられることも多かったが、最近ではGSと略記されることが多い。 【写真を見る】日本と急速に関係が深まった国
GSを構成する国々は、決して一枚岩ではない。インドのような大国もあれば、1人当たりのGNI(国民総所得)が日本の40分の1以下という国も50近くある。しかしインドなどがリーダーとなって、いわゆる先進国に対する影響力を増してきていることが重要だ。 このようなGSの台頭を受けて、どのような国際秩序を打ち立てることが必要か。JICA(国際協力機構)特別顧問で、国際政治学者の北岡伸一氏の新著『覇権なき時代の世界地図』(新潮選書)から紹介しよう。 ***
ポスト・ウクライナの国際秩序
GSのさまざまなあり方を前提として、われわれは世界にどのような秩序を打ち立てることができるだろうか。そして、その中でG7そして日本はどのような方策を講じればよいのか。 第一に重要なのは、ウクライナ戦争においてウクライナが負けないようにしなければならないということである。ロシアの侵略は弁解の余地のないものである。このようなあからさまな侵略者が勝利して、侵略から利益を得るようなことがあれば、それは法の支配でなく力の支配の勝利を意味する。途上国にとってそれは大変な脅威であることを知ってもらい、その支持を得るために努力しなければならない。 第二に、途上国の困難には、G7としても日本としても対応しなければならない。とくに貧しい小国の不満に対応する能力は、GSの中の有力国にあるとは思えない。これはやはりG7の責任である。途上国からすれば、温暖化なども先進国が勝手に持ち出したものだと言うかもしれない。しっかり手当をすることが必要である。 第三に、途上国の側が感じる先進国の民主主義や人権の「おしつけ」に配慮すべきだろう。 かつて2003年にアメリカがイラク戦争を始めたとき、ブッシュ大統領は、アメリカはかつてドイツと日本を民主化したので、イラクも民主化できると述べた。ドイツと日本の民主化は、国内にそういう素地が十分あったから可能だったのであって、イラクにそのような伝統はまったくなかった。民主主義を受け入れるのには、それなりの基盤が必要なのであって、そうした基盤のないところに高い理想を持ち込んでも成功する可能性は低い。 途上国にも誇りはある。干渉されることを嫌う。ICC(国際刑事裁判所)についても、追及の対象は多くアフリカの人物であることから、途上国は必ずしも共感を持っていない。それに、民主主義の代表選手であるアメリカ合衆国の政治が、それほど立派なものだろうか。 日本のアプローチはまったく違っていた。かつてインドネシアなどの権威主義国家を支援して、その発展を促し、結果として民主化が起こった。これは途上国支援の大きな成果ではないだろうか。 人権についても、日本は他国の人権状況を声高に批判するのではなく、より間接的なアプローチをとる。JICAはタンザニアで「レディース・ファースト」というスポーツ大会を主催して、大きな成功を収めた。タンザニアで女性がスポーツする機会を持てないとき、これを批判するのではなく、摩擦の少ない形でやってみたのである。パキスタンでは女性は保護すべき対象なので、遠くまで学校に行くべきではないという考えがある。これに対し、声高に批判するのではなく、村落の近くに小さくても寺子屋のような学校を作って教えることをしていて評価されている。 欧米流の上から目線の押し付けでなく、相手の立場に立って一緒に考える姿勢が、JICAの伝統であり、私も理事長として重視してきたところである。途上国の人々に対する支援は、施しであってはならない。誰もが尊厳を持って生きる権利がある。それを支援する義務がある。 日本は伝統的に、自己の価値を押し付けすることを好まない。『論語』にも「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」という通りである(ただし、中国でこの教えが守られているとは到底思えない)。日本は Passive Virtue なのである。