《なんで言われへんねん!》笑福亭笑瓶さんがめずらしく激怒した「ダメ出し事件」、愛弟子が初めて明かす師匠の“知られざる素顔”
「私が車を運転しているときに、師匠から『どんなネタをやりたいねん?』と聞かれ、漫談をやりたいと伝えたら『やってみい』と。緊張しながら漫談を始めたら後部座席から師匠が『危ない! ほら! そこ! 信号赤や!』と。しゃべることに必死で運転がおろそかになり、よく怒られました。 長時間ダメ出しを受けている時に『はい、はい』と私が返事をしていたら、『“はい”が陰気や!』『お笑いは“はいっ!”と元気よくいわないかんねん。わかったか。違う! なんで元気よく“はい!”と言われへんねん!』と、よく怒られました」 弟子に就いてしばらくは、笑瓶さんのことを「師匠」と呼ぶことも禁止されていた。 「弟子に就いてすぐ『師匠とお呼びしていいでしょうか』と尋ねたら、『まだ弟子として取ったわけではないから“笑瓶さん”でいい」と言われました。弟子入りから4カ月後の8月に師匠を迎えに行き、師匠が自宅から出てきたときに『おはようございます』と挨拶をしたら突然、『命名しよう。笑助!』と仰って、そこから『笑助』と呼んでいただけるようになりました。認められたようで、うれしかったですね」 約3年半の修行生活を終えてからも、事あるごとに師匠と顔合わせ、数カ月に1度の電話は欠かさなかった。笑助氏は笑瓶さんとの最後の会話が忘れられないという。
「12月13日は芸事の私たちにとって“事始め”といって、お正月のようなものです。師匠が亡くなる前の12月に神戸で鶴瓶一門の集いがありました。4日後に師匠から電話がかかってきて、何かなと思ったら『おまえにお年玉を渡すの忘れとったから、今度、会った時に渡すわ。ほなな』と。結局、それが師匠との最後の会話となってしまいました。 師匠が亡くなった今でもハンドルを握っていると、『急がんでええで』と師匠の声が聞こえてくるような気がする時があります。後にも先にも弟子は僕しかいません。師匠の意志を継ぎながら、歩んで行きたいと思っています」 人に気を遣い、人にやさしく、恥ずかしがり屋で、愛妻家で、ゴルフと車が趣味だった笑福亭笑瓶さん。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 (了。前編から読む)