反則級のエグさ…アルゼンチン代表、歴代ストライカーの系譜(5)かわいそう…? 影に隠れた「世界級」…その男は?
アルゼンチンは歴史的に優秀なFWが輩出されることで知られる。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシは別格として、他にも各世代に傑出したゴールハンターたちがいた。時代の移り変わりとともに、アルビセレステス(白と空色)の魂はどのように受け継がれてきたのか。4年に一度のワールドカップを起点に、アルゼンチン代表で活躍したストライカーの系譜を振り返る。
エルナン・クレスポ 生年月日:1975年7月5日 個人成績(1998):1試合出場/0得点0アシスト 個人成績(2002):3試合出場/1得点0アシスト 個人成績(2006):4試合出場/3得点1アシスト 1995年にアルゼンチン代表デビューを飾るが、長くバティストゥータの影に隠れた存在だった。パルマで活躍が目立ち始めていた1998年のフランスワールドカップでは、エースのバティストゥータが大爆発する一方、クレスポに巡ってきた出番はラウンド16のイングランド代表戦の途中出場のみ。しかも、PK戦で渾身のキックをGKデイビッド・シーマンにセーブされてしまった(アルゼンチン代表は無事に勝ち上がった)。 2002年の日韓ワールドカップに向けた南米予選ではチーム最多の9得点を挙げて出場権獲得に貢献したが、いざ本大会を迎えるとまたもバティストゥータの控え扱い。3試合に途中出場してグループリーグ第3戦のスウェーデン代表戦で起死回生のゴールを奪ったものの、チームは勝ち切れず、決勝トーナメント進出を逃した。 ようやくクレスポの時代が訪れたのは、バティストゥータが代表引退を表明した2002年日韓ワールドカップ後から。所属するチェルシーでは順応に苦しんでいながら、代表では2006年ドイツワールドカップに向けた南米予選でゴールを量産するなどエースとして活躍。初めて主力として挑んだ本大会でも3得点を挙げて存在感を誇示した。 2007年11月の招集を最後にアルゼンチン代表からは遠ざかり、再起を期してステップダウン移籍を繰り返すが、2010年南アフリカワールドカップ出場は実現しなかった。2012年に現役引退している。