「この兵はどうして亡くなったのですか」硫黄島総指揮官の栗林中将「兵士に優しかった」言葉と行動
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
栗林中将の優しさ
思い出に残る出会いもあった。最高指揮官、栗林忠道中将らだ。 硫黄島の最高指揮官だった栗林中将と間近に接したのは、硫黄島にいた約40日間のうち最後の1日だった。栗林中将は将校には厳しく、第一線の兵士には優しかったとも伝えられている。西さんは戦史に残る指揮官に対し、どんな印象を抱いたのか。 「米軍機の攻撃で、1944年末には硫黄島の陸軍戦闘機は壊滅状態となり、私たちの部隊は千葉県の原隊に戻ることになりました。1945年1月8日のことです。この日、司令部壕の近くで飛行場に向かうトラックを待っていると、栗林中将が部下5~6人を連れて通りかかり、ふと足を止められました。私たちの隊長は、前に進み出て本土への帰還を報告しました。栗林中将は、私たちのうちの一人が首から骨箱をぶら下げているのに気づき『この兵はどうして亡くなったのですか』と聞かれました」 そこでの栗林中将の行動は意外だった。 「仲間が、戦死した状況をかしこまって説明すると、栗林中将はまるでわが子をねぎらうように、悲しい表情をして骨箱をしばし抱かれました。偉いなあと思いましたね。厳しい人だったらしいのですが、私たちが会ったときは『おじさん』という感じですね。私たちの部隊は在島中、敵機に対してほとんど打撃を与えられなかったわけです。栗林中将はそのことを知っていながら『ここの兵隊たちは、あなたたち(戦闘機部隊)の努力にみんな感謝しています』とおっしゃった。それから、こうも話してくれました。『今からあなたたちが帰る日本の本土も、これからはここと同じ戦場なんです。だから一緒に頑張りましょう』と。とても優しい話し方でした。印象としては、落ち着いていましたねえ。魅力がありましたなあ。細い杖のようなものを手に島内を視察する写真が残っていますよね。まさにあの通りの姿でした」
酒井 聡平(北海道新聞記者)