日本人は死刑を下すときに主観を排除できているのか…冤罪が疑われる「福岡の殺人事件」を10年間取材してわき上がった「問い」
「これ以上話すことはない」
――裁判官の方が今回出てこなかったんですが、死刑判決を出した元裁判官の方に取材されたりはしたんでしょうか。 はい、手紙は出したんです。でも返事はなくて。 元検察官にも手紙を書いて、電話で話すことはできたんですが、自分はもう法廷で話したこと、調書にあることがすべてで、これ以上何も語ることはないというような答えだったんです。 もちろん裁判の行方が気になることは重々承知の上なんですけれども、先ほど言いましたように今回は裁判の行方がテーマではないものですから、それを裁判の行方となった瞬間に行き場が、取材の方向が難しくてですね。 裁判官や検察官を深追いして、逃げるようなところを追っかけて映して、こんなに悪いことしてますみたいなことを言うのはちょっと違うかなと思ったり。 もし検察官が30年間全部の、自分のこの事件への思いを語りますよというのであればもう真っ先に飛びつきますけれども、今回は縁がなかったのか、たまたまそういう方と出会えなかったという感じでした。ただ、実はそんなに残念だとは思っていなくて、それぞれの葛藤をできる限り分かる範囲で伝えられたらと思っています。
見習いたいと思った
――取材は大変だったと思いますが、弁護団、警察、メディアの三者に取材して、実際に映画をご覧いただいた方もいらっしゃると思うんですけれども。 西日本新聞の傍示元編集局長、宮崎元社会部長のお二人とは福岡でも一緒にトークショーなどをしまして、映画に出てくる以上のことをお話しになったり、説明されていました。 このお二人や西日本新聞の方を僕は本当に尊敬していて、自分は報道記者でもないし報道の番組のディレクターでもなかったので警察の取材をするのは今回ほとんどはじめてに近いんですが、記者という仕事は本当にすごいなと、自分も見習いたいなと思いました。 久間さんの奥さんとも一緒に映画を見ました。 テレビ番組のときはものすごくフラッシュバックされて、事件に引き戻され、警察官の顔が出るたびに目をそむけるような気持ちになると仰っていましたけれども、繰り返し番組をご覧になって、この前映画を一緒に見たときも「警察官に怒りが湧きましたか」と聞いたら、「自分はもう冷静でいます」と。「主人の無実を晴らすために、映像の中に何かヒントが映っていないかな」と。「自分が見落としている何かが映像に映ってるかもしれない。警察官の言葉の一つ一つにあるかもしれないんで、そういうのを探しているんです」と仰っていました。 山方元一課長とも福岡で二人並んで映画を見ました。 もう84歳でいらっしゃるので、2時間40分ご覧になって疲れたのか、ちょっと寂しげな感じが見えて、僕の印象ですが、あらためて自分は久間元死刑囚の自白を取れなかった、愛子ちゃんを見付けきれなかった、この事件を解決できなかったという思いが駆けめぐっているのかなと感じました。 そのぐらい山方さんが深刻な顔をされていたので、そういう印象を持ちました。あるいは単に疲れられただけかもしれませんし、これも藪の中ではあります。
木寺 一孝(映像作家、ディレクター)