『ブギウギ』母・ツヤの病、弟・六郎の出征…スズ子は歌い続けられるのか?エンタメの力や役割を問う作品
◆エンターテインメントの持つ力 10月2日から放送が開始された109作目の朝ドラ『ブギウギ』。大阪編から東京に移り、スズ子の恋や移籍騒動など、目まぐるしく物語が展開する。物語の「今」は1939年。不穏な時代にスズ子はどう生きて行くのか――。大物歌手・茨田りつ子のモデル淡谷のり子さんに取材経験もある筆者・高堀冬彦氏が、登場人物や今後の展開について綴る * * * * * * * 連続テレビ小説『ブギウギ』の放送開始から約1ヵ月半が過ぎた。 作風は悲喜こもごもの人生賛歌。朝ドラの定番だが、歌を始めとするエンターテインメントに軸足を置いているところに特別性がある。 テーマの1つも「歌を始めとするエンターテインメントの持つ力」にほかならない。趣里(33)が演じている主人公・福来スズ子のモデル・笠置シヅ子さんは、戦後に「東京ブギウギ」(1947年)などを歌い、敗戦ムード一色だった世の雰囲気を一変させた。歌の力だった。 この史実は文献によって知られているものの、それを映像でどう再現するのか。 「世の雰囲気」はカメラに映らないから、表すのが難しい。物語上の現在は戦前の1939年春。少し先だが、今から興味を掻き立てられる。
◆視聴者の心も掴んだ劇中の歌唱シーン 現時点までの最大の見せ場も歌だった。スズ子が11月10日放送の第30話で和製ジャズ「ラッパと娘」を披露したシーンである。スズ子は大阪の梅丸少女歌劇団(USK)から東京の梅丸楽劇団(UGD)に移っていた。 劇中、スズ子の歌に会場の日帝劇場(モデルは帝国劇場と日本劇場)は沸きに沸いた。視聴者の心も掴んだようで、個人全体視聴率は番組最高の9・5%(世帯視聴率16・3%)を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。 珍しいことだった。ヒット曲でもない限り、劇中の歌唱シーンはウケないというのがドラマ界の定説なのだ。しかもスズ子による「ラッパと娘」は長く、15分の放送のうち3分以上あった。 この楽曲の作詞・作曲は物語内では羽鳥善一(草なぎ剛)が行ったことになっているのは知られている通り。その羽鳥のモデルである服部良一さんによる原曲の良さもあるが、趣里による歌と踊りが出色だったから、観る側は目が離せなくなったのだろう。 このシーンの前もスズ子は自分自身の傷心や悲しみを歌うことで乗り越えてきた。実母だと信じて疑わなかった花田ツヤ(水川あさみ)と血縁がないと分かったことや、USKの先輩・大和礼子(蒼井優)の死である。どちらも衝撃的だったが、スズ子は堪えられた。これも歌の力だった。
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