なぜ知名度ゼロの「ハイセンス」が国内シェア3位に食い込んだか…躍進を支えた意外な家電量販店の名前
■夫を病気で亡くしたとき会長にかけられた言葉 長くいれば、得意先との信頼関係も自ずと築かれます。12年に最初の50インチを仕入れてくれたバイヤーは、その後店長を経て商品部の部長に昇進。今でも「懐かしいね」と語り合う関係です。そうした関係性こそが私たちの強みであり、日本市場で躍進できた理由の一つだと自負しています。 実は日本に骨を埋める覚悟をした私も、一時期、迷いの中にいたことがあります。品質向上が進んでいた最中の19年、中国で仕事をしていた最愛の夫が病気で亡くなったのです。 このときは精神的に崩壊寸前で、社長退任も考えました。今のグループ会長から「新しい目標やプレッシャーは与えないから継続してほしい」と慰留され続けたものの、完全に元気を取り戻すまでに2~3年かかりました。 その間も会社の勢いが止まらなかったのは、社員が頑張ってくれたおかげです。もともとハイセンスは社員を一つの家族のように考え、それぞれの幸せを大事にする会社でした。日本では「昭和の風習」と言われる社員旅行も毎年行っていて、家族を連れてくる社員もいます。社内でもそういった関係性が築けているから、お互いが困ったときにも自然に助け合えます。 信頼関係があれば意思決定も速くできます。普通の会社は会議や報告を何度も重ねて意思決定しますが、会議や書類作成は生産性を落とします。一方、ハイセンスは相手を信頼して任せる文化があり、自分で仕事を完結してもらう。もともとそのような組織風土があったから、私が苦しかったときにも組織のスピードが落ちませんでした。 個人的な辛い経験を経て、家族の大切さを以前に増して感じるようになりました。従業員にも、家族や仲間と幸せな時間を過ごしてほしい。その思いから、最近はより家族的なコミュニケーションを意識しています。先日は、若い社員が生まれたばかりの赤ちゃんの写真を送ってきてくれた。社員間の信頼関係はますます強くなっています。 シェアこそ伸ばしましたが、ハイセンスジャパンはまだ「日本で成功した」とは言えないと考えています。社内外の方々との信頼関係を武器に、さらに日本のみなさんに愛されるメーカーになりたいですね。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年11月1日号)の一部を再編集したものです。 ---------- 李 文麗(り・ぶんれい) ハイセンスジャパン代表取締役社長 1972年生まれ、中国・青島出身。95年、青島大学電子工学科卒業後、Hisense国際有限公司入社。アメリカ、オーストラリア、ベルギーでの勤務を経て、2011年より現職。 ----------
ハイセンスジャパン代表取締役社長 李 文麗 構成=村上敬 撮影=小田駿一