家畜に焼印、去勢、カシミア採り…力自慢の若者が活躍、遊牧民の春は大忙し
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。 ----------
遊牧民の彼らの一年は春から夏、秋そして冬という四季の移り変わりに伴って、営まれている。 冬の終わりから春にかけて、モンゴル高原が家畜の出産で賑わう季節である。長い冬が終わりに近づくと、ある日突然、心地よい雪解け水の流れる音と共に、草や花が芽を出し始め、小鳥たちが鳴き始める。 厳しい冬が終わり、暖かい春がそこまできている嬉しい知らせであり、無事に越冬した遊牧民たちはほっとする。そして、家畜の出産を迎える忙しい季節が始まる。 この時期には家畜の出産以外に去勢、焼印や耳印(羊やヤギは耳を切って印にする)などの作業がある。特に馬の焼印や去勢というのは、春になると幾つかの家庭が一緒になり、助け合いながら行う作業であった。 モンゴルの馬はほぼ野生に近い状況なので、慣れさせられていない暴れ馬が多い。そのため、馬を焼印する作業のときは、若者にとって楽しい集会でもあり、一種の祭りのようなものでもある。馬乗りがうまい人や力持ちの人の晴れ舞台でもある。彼は競い合いながら暴れ馬を次々とつかまえ、素手で倒し、焼印をする。 馬の焼印はモンゴル語でタマガといい、鉄製である。各家庭によってその絵柄が異なる。例えば、桃の絵柄や山の絵柄などいろいろな種類がある。近年、馬の減少で、馬群を持たない家族が増え、その焼印が失われている。それに危機感を持つ学者が内モンゴル各地を歩き回り、焼印を集めて本まで出版している。