ラトビアから来た30歳女性バックパッカーが「1畳半の“持ち運べる部屋”」で暮らす驚きの理由
「ポータブルな暮らし」に憧れて
カリーナさんは、18歳で母国を出てデンマークとイギリスの大学に進学し、その後バックパッカーとしてヨーロッパと東南アジアのほとんどの国をまわるなど、頻繁に移動しながら暮らしてきた。3年ほど前には、4カ月間京都に留学。 その頃Instagram経由で知り会ったのが、このモバイルハウスを企画・制作しているSAMPOの建築家・塩浦一彗さんだ。カリーナさんが投稿していた建築デザインのドローイングが、驚くことに「ろじ屋」の世界観そのものだったのだ。 「京都に留学していたときから、いつか誰かのために、モバイルハウスを作りたいと夢見ていたんです。 宮崎駿さんの世界観や日本の路地裏の空気感が大好きで、ポータブルな暮らしに憧れていました」(カリーナさん) 塩浦さんは、同じ想いを持つカリーナさんに、次に“東京に来る機会があったら教えて”と伝えた。2023年2月に念願の対面を果たすと、流れに乗ったようにカリーナさんは日本で建築関連の就職先を見つけ、2023年8月末からこのモバイルセルに住むことに。 「夢が叶った以上の衝撃的な出来事でしたね。 今後は、モバイルセルを軽トラに乗せて、一緒に日本中を旅したいです。京都には思い入れもあるので、ぜひ行きたいです」(カリーナさん)
なぜ、モバイルハウスを作ったのか……?
そもそも、モバイルハウスはなぜ作られたのだろうか。SAMPOで建築設計を担当する塩浦さんは、“人が住む場所”の家が、高くてなかなか購入できない上、一度買うと固定化されて動かしにくい。この状況に、10代の頃から疑問を抱いていた。 そして、解決策がないことにも葛藤があった。「だったら可変的な家を作ったらどうだろう?」と考えた彼は、その後イギリスの大学で建築を学ぶ。帰国後、現在のSAMPOの代表・村上大陸さんと出会い、モバイルハウスの構想を聞くやいなや、すぐに「これだ!」とピンと来た。翌日には共同で事業化することを決め、早速自分たちでモバイルセルの1号機を作り始めたという。 Z世代と言われる世代でもある塩浦さんは、「暮らしに合わせて住む空間はどんどん変わっていくべき」と語る。変化が激しい世の中において、自ら住処をアップデートできる自由な発想とスキルを持つ。この大切さは、「ろじ屋」を“リビングアーキテクチャー”と表現したり、モバイルセルの一部を住人に作ってもらったりすることにも表れている。 「現代は、自分の手で自分の部屋を作るという、生きるために必要な体験が抜け落ちちゃっているような気がします。 量産されたプロダクトを使うよりも、自ら作る“体験”が大事だと思っています」(塩浦さん)