【私の憧れの人】日本初の女流落語家・露の都 男役トップスター・剣幸との出会いがくれた「突破口」、性別を超えれば「心」と「情」が伝わる
観劇を通じて肌身で感じ取った「心を伝える芝居」
当時の宝塚は涼風真世や天海祐希が男役トップで、華やかなりし頃。すっかりハマった露の都は、東京で剣の公演があれば新幹線で上京し、兵庫県宝塚市の大劇場にも足繁く通った。観劇を通じて心を伝える芝居を肌身で感じ取ることで、落語の腕もめきめき上達していく。 「舞台を見ながら心で演じることの大切さを学び、当時から得意にしていた人情噺『子はかすがい』をかけるときは、登場人物の子供や嫁はん、おとっつぁんの心を意識するようになりました。このネタは生前の師匠から褒められたことはなかったけれど、亡くなったときに奥さんから、師匠が“あんな難しい話、あいつよう自分の得意ネタにしよったな”とよく言っていたと聞きました。最高の褒め言葉をいただいたなと思います」 憧れの人でありながら「推し」でもある剣とは今年、新聞社の対談企画で初めて顔を合わせることができたという。 「剣さんにもし会えたらずっと聞いてみたいことがありました。それは“男役をどういうふうにつくってはったんですか”ということ。対談で質問したら、“私は宝塚の男役としては小柄なんです。だから懐の広さをどう演じていくかを考えた。そして女性が共感してくださる男性を演じた”とおっしゃっていて。 私と同じで、心を演じていたんだなと感激しました。お客さんに“都さんの落語の男の人は男前やね”と言われるんですが、ちょっと宝塚が入っているのかも。 それに、剣さんが“実は落語をやってみたいんです”って! 上方落語専門の定席、繁昌亭で、いつか二人会をやりましょうねって、お話ししたんです。 私も今年で芸歴50周年。剣さんとの二人会を楽しみにしつつ、これからも人の心に届いて、思い切り笑って泣ける落語ができるよう、精進していきます」 【プロフィール】 露の都(つゆのみやこ)/1974年、露の五郎兵衛に入門し、翌年に初舞台。日本初の女流落語家となった。1991年、現在まで続く「東西女流落語会」を史上初めて主宰。プライベートでは6人の子を持つ母でもある。 ※女性セブン2024年11月14日号