30代からの挑戦、止まらない成長!ガールズケイリン永塚祐子が何度ケガをしても絶対諦めない理由「誰かの励みになることが、私の原動力にもなる」/ アニメ『リンカイ!』コラボインタビュー
アニメ『リンカイ!』に出演する声優の日向未南が、アニメに登場するキャラクターと境遇が似ている方へインタビューするコラボ企画。第2弾は118期の永塚祐子選手。新卒で大企業へ入社し安定した生活をしていた永塚選手が、心機一転ガールズケイリンを目指したきっかけはなんだったのか。交通事故や落車で何度怪我をしても選手でいることを諦めない理由とは……(企画・構成:netkeirin編集部 聞き手:日向未南 撮影:Kenji Onose)。
◆「スポーツを仕事にしてもいいんじゃない!?」
ーー永塚選手は学生時代にバスケットボールに打ち込み、社会人経験を経てガールズケイリン選手になりました。学生時代から会社員時代のことを教えてください。 高校までバスケットをしていましたが、ケガで挫折をし、将来はスポーツトレーナーかOLになりたくて東海大学に進学しました。希望通りスポーツトレーナーの勉強をしましたが、なかなか厳しい世界で。結局、不動産会社の三菱地所レジデンスへ就職したという感じでした。 入社後はマンションの販売営業をしていました。お給料が年功序列だったり、営業専門職での入社だったためやりたい仕事につけず、自分はこの仕事の真髄までたどり着くことはできないのかなあ……と感じて、転職を視野に入れていました。 7年続いた営業から本社へ異動になり、そのタイミングで会社のバスケ部に入りました。社会人バスケって、仕事ではないのに真剣なミーティングを重ねたり、悔しくて泣いたりするほど打ち込んでいる人がたくさんいて、私もその一人でした。必死に熱意を注いでいたら、ご飯を食べるのも息をするのも疲れるようになってきて。 そんな時に交通事故に遭い、鬱っぽくなって休職することになりました。家にいたら塞ぎこんでしまうから外に出たかったけれど、むち打ちがひどくてバスケはできず。それで、自転車に乗ってみようかな、と。 たまたまテレビでガールズケイリンを見てバンクを走ってみたいと思ったんです。そしたら、お世話になった自転車屋さんから川崎競輪場でイベントがあると教えてもらって、行ってみることにしました。 気晴らしにバンクを走りに来てタイムを計ってみたら、周囲が驚くほど速いタイムが出てしまって(笑)。「プロになれるんじゃないか」と、支部長にご飯に誘っていただいていろいろお話し、弟子入りを決意しました。 ーーいろいろなタイミングが重なって、ガールズケイリンの道が開かれたんですね。転身の決め手はなんだったのでしょうか。 学生時代、スポーツテストは学校で1番ぐらいにポテンシャルが高かったけれど、インターハイには一度も出られなかった……そのことが自分の中でずっと気になっていたんです。 その頃、社会人バスケを週4~5日やっていたんですね。仕事を切り上げて練習に行ったり、日曜日の終電まで練習して、月曜の朝から仕事をしたり。それならもうスポーツを職業にしてもいいんじゃないか、スポーツで自分を肯定できるようになったらもっと人生を楽しめるんじゃないかと思いました。 やりたいことにチャレンジするなら30歳前半までと決めていたので、周りの人たちに「ガールズケイリン選手になる!」と宣言して、やらざるを得ない環境を作って自分を追い込んでいきました。 休職中からトレーニングを始め、復職してからは二足の草鞋で、6時半の電車に乗って朝練してから仕事に行っていました。3か月でタイムが出なかったら辞める、ぐらいの強い気持ちで練習に取り組みました。 ーー一所懸命の練習の甲斐あり、ストレートで競輪養成所に合格しました。 実は養成所の試験を受ける1ヶ月前に事故に遭って、腰が痛くて靴下も履けない状態でした。2週間寝たきりで、その後1週間練習して合格。入所後しばらく腰の痛みと向き合いましたが、夏帰省の2週間でトレーニングやケアに行ってようやく解決策を見出せたんです。トレーナーをやっていたのもあって体の解剖学は網羅していたから、筋肉がどうついているとか、どう動かせばいいとか……そういうのがわかっているのは大きかったですね。年下の子たちと比べて体力のなさはディスアドバンテージだけれど、その分、これまで得てきた知識や考える力を強みにしようと努力しました。怪我を経てゴールデンキャップを2回獲っているので、自分としては200点をあげたいです(笑)。 ただ師匠としては、在校1位を獲ってほしくなかったみたいです。1位を獲ってしまうと注目されすぎるから、2~3位のほうが良かったんじゃないと。「プロの世界は養成所に比べて段違いで厳しい」と言われていたので、在校1位でもそこまで自信はなく、現場ではうまくはいかないだろうなと覚悟していました。 ーー養成所では、新たな学びや気づきはありましたか? 自分を大事にする必要性に気付きました。バスケ時代はチームメイトに迷惑をかけないことをモチベーションに死ぬ気で練習していたんです。みんなのために頑張るのが好きでした。自分が活躍したいと思ってプレーしたこともありませんでした。 でも、競輪は個人プレー。周りが自分より年下だから気にかけてあげなきゃ、みたいなことをしていたら負けてしまう。まず自分を大事にして生活しなきゃと気付いたんです。これは現在も課題で、自分のために頑張ろうという意欲を見出すのが苦手です。レースに勝っても喜びが少なく、安堵感の方が大きいです。自分が勝ちたいというより、お客さんや周りの期待に応えなきゃ! という感じ。