はっきり言おう。もはやマンUにラッシュフォードは必要ない。すでに我慢の限界、擁護できない移籍示唆発言【コラム】
●成長のしなさには我慢の限界だ
ラッシュフォードの前時代的なプレースタイルを踏まえて「ラッシュフォードを放出した方がいいでしょ」と何度も友人に正論を言われても、「いやでもユナイテッドは、アカデミーを大切にするクラブだから。1937年からアカデミーの選手を連続で起用し続けている歴史があってね」と歯を食いしばりながら、改心を信じてきた。 ただここ数年、年齢を重ねても、プレースタイルが本当に何も変わらなかった。絶望的なほどに。むしろ悪化しているようにも思える。 英紙『テレグラフ』によると、プライベートの事情でサッカーに集中できていないという話もある。その具体的な内容は明かされておらず、もしかしたら本当にサッカーどころの騒ぎではないのかもしれない。プレッシャーの大きさも想像出来るものではない。 とはいえそのプレーの低調さ、成長のしなさには我慢の限界だ。サッカーIQの低さは一朝一夕で変えられるものではないだろう。せめて最低限のハードワークだけでも覚えてくれれば、印象もかなり変わるにも関わらず、攻撃でも守備でもとにかく走らない。 そんな姿を見ていると「なぜ、まだ見ぬ子供達を助けることが出来るのに、目の前のチームメイトたちを助けることが出来ないのか。たった今、君がボールを失ったせいでチームにピンチが訪れているのに」といつもイライラさせられた。 こうなってくるとこれまでの感動まで薄れてくる。 「対強豪で点が多いのも、単純に守備をせずに前残りしているからでしょ。チーム事情的にも押し込まれることが多く、カウンターでの攻撃がラッシュフォードに合ってるだけだしね」と数々の貢献にも嫌味を言いたくなる。
●ラッシュフォードは新時代に振り落とされた
そんな中、2024年夏、筆者としても個人的に「どうしようもない」という烙印を張りつつあったラッシュフォードに変化が訪れた。コーチ陣の変化のおかげなのか、何なのか、理由はわからないが明らかに攻守でハードワークする場面が増えたのだ。細かく言えば粗も沢山残る。ただようやく訪れた10番の成長の兆しに大喜びした。 しかし、その兆候は長続きしなかった。ルベン・アモリムが到来して少し経った頃には、その明るい兆しも失われ、露骨に走らない場面が増えていた。もちろん新監督のエッセンスであるオフザボールの動きや、ワンタッチプレーが増えている。ただ今季序盤にわずかに感じた必死なプレーはもうない。そしてとうとう、マンチェスター・ダービーではベンチ外に追いやられた。当然の結果だ。 そんな猛省するべきタイミングで、「個人的には、新しい挑戦と次のステップに備える準備ができていると思う」と移籍を示唆したのだ。 筆者としては、試合後の段階では、ダービーで勝った感情は嬉しさだけでなかった。わずかながらではあるものの、新時代の到来によって歴史の一部が手のひらから溢れる喪失感と、10番抜きで勝利したことを喜ぶことに対して罪悪感を覚えていた。 ただ冒頭のコメントでそんな感情も霧散した。もう彼を批判することに躊躇はない。はっきりと言おう。ラッシュフォードに準備ができたのではない、彼は新時代に振り落とされただけだ。 何故、このタイミングでこんなコメントを残したのか。いやこうなってくると、むしろこのタイミングで、記者の前でこのコメントを出来る不用心さが彼の本質なのか。そんな無神経さを持つからこそ、自分でボールロストして味方が困っていても、平気でいられるのかもしれない。