ヤクルト・中村悠平インタビュー 重圧を力に、さらに前へ 「27番へのあこがれ、いつか着けたい思いはあった」
さらなる高みへ
1年間だけの着用となった背番号2だが、この背番号で悲願の日本一を達成。思い出に残る番号になった
2022年1月6日、新たに背番号27を着用することが発表された。大矢明彦氏や古田敦也氏など、歴代の正捕手が着けた背番号で、2年連続の日本一を目指す。 取材・構成=小林篤 写真=高塩隆、BBM 多くの球団で正捕手番号として定着している27。特にヤクルトにおいては兼任監督も務めた古田敦也の背中でさらなる輝きを放った。2007年に古田が引退して以降、14年間欠番となっていた番号を着けるに至った経緯と、これからの決意を聞いた。 ──27番へのあこがれは入団当初からあったのでしょうか。 中村 ずっとあこがれはありました。その思いを持ちながらプレーしていたわけではないのですが、いつかは着けてみたいなという思いはありました。 ──そもそも09年に入団後、12年間着けた背番号「52」に対する思いは。 中村 もちろん52番に愛着はあります。プロに入って最初に着けた番号。下積み時代から、15年には優勝も経験しました。振り返ればいろいろなことを経験してきた背番号なので、思い入れは深いです。 ──昨年は背番号を52から2に変更されました。2番にはどういう思いが。 中村 20年がケガで悔しいシーズンに終わってしまい「何か自分を変えなきゃいけない」と、背番号を2に変えさせてもらいました。背番号を変えれば結果が変わるのかと言われると、変わらないかもしれない。でも、僕の中では背番号を変えるだけですごく身が引き締まる、やらなくちゃいけないという思いにさせてくれたのです。2番は1年間しか着けていないのですが、日本一となり、思い出に残る番号になりました。また27番を着けるにあたって、自分をステップアップさせてくれた番号なのかなと思います。 ──背番号27を着けるにあたり、昨年12月に古田さんに直接報告をされたとのことですが、27番を着けると決まったのはいつごろでしょうか。 中村 実は、日本シリーズの前に球団から背番号27の打診がありました。ただ、2番に変えたばかりの年でしたし、日本シリーズも控えていたのですぐに返事はできなくて。そのときは「持ち帰らせてください」という回答で終わりました。 ──そして日本一を達成されました。 中村 日本一になったときに「伝統のある番号を着けて、もう一度日本一を目指すんだ」という思いになったんです。今後の自分の野球人生において、高みを目指していくという思い。また・・・
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週刊ベースボール