出産費用なぜ上がる?「見える化」と保険適用の検討へ
出産の費用負担をめぐる議論が本格化する。現在、出産は健康保険の適用外で、代わりに「出産育児一時金」を給付しているが、医療機関や地域による出産費用に差があり、一時金では足りないケースもある。政府は少子化対策として「自己負担のない出産」を目指し、保険適用とする検討を始める。実現すれば原則、全国一律料金となるが、経営難のため分娩(ぶんべん)から撤退する医療機関が出ることも懸念され、慎重に議論を進める見通しだ。【毎日新聞経済プレミア・渡辺精一】 【図解】日本は子育てしやすい環境ですか? 結果は… ◇東京と熊本で1.7倍近くの差 出産は、帝王切開などは「異常分娩」として健康保険が適用されるが、正常分娩は「病気ではない」という理由から保険適用外の自由診療で、出産費用は全額自己負担が原則だ。 そこで、出産する人の経済的負担を軽減するため、健康保険が出産育児一時金を現金給付している。具体的には、妊娠4カ月(85日)以上の人が出産すると子1人につき原則50万円を給付する。 給付額は出産費用の動きを踏まえて見直しており、23年4月に8万円引き上げた。 ただし、自由診療であるため医療機関は自由に料金を設定できる。従来、政府が一時金を引き上げると、それに応じて医療機関が料金を値上げする「いたちごっこ」が指摘されてきた。 厚生労働省の調査によると、22年4月~23年4月に医療機関の45%が値上げし、その6割は一時金増額が決まった23年1月以降に値上げを決めていた。 出産費用は地域による差も大きい。厚労省によると、22年度の出産費用は全国平均48.2万円。これだけを見れば一時金の額に収まるが、都道府県別では、最も高い東京が60.5万円、最も低い熊本が36.1万円で1.7倍近くも差がある。都市部で高い傾向があるが、なぜ、これほどの差があるのかはっきりしない。 横浜市が23年6~10月に市内の分娩施設に行った調査では、分娩料や入院料など基礎的費用は平均54.8万円で、9割近くが一時金額を超えた。同市は24年10月から、一時金に加え、最大9万円の独自助成金を給付する。 ◇保険適用になると何が変わるか こうした現状を踏まえ、政府は二つの対応に乗り出した。 一つは、出産費用の見える化だ。 全国には2000以上の分娩施設がある。サービスや料金に違いがあり、出産しようとする人は、ネット検索や口コミに頼るのがほとんどだ。 厚労省は22年、妊婦や出産3年以内の女性約1万2000人に調査を行った。分娩施設を選ぶ際、アクセスやサービスなどの情報は得やすいが、出産費用に関する情報は入手しにくく、不満があることが明らかになった。 そこで、厚労省は5月30日、分娩施設の情報提供サイト「出産なび」を開設した。施設ごとに、ベッド数や年間分娩件数▽助産ケアの状況▽立ち会い出産や無痛分娩などのサービス内容▽出産費用平均額――などを示し、出産する人が施設を選びやすくした。 もう一つは、保険適用の検討だ。 政府が23年に公表した「こども未来戦略方針」は、少子化対策として26年度までに出産費用の保険適用を検討するとした。厚労省は具体的な検討のための有識者会議を近く発足させる。 保険適用になると、何が変わるのか。 まず、出産に関する医療サービスに対する報酬が決まり、原則、費用は全国一律になり、施設や地域によってまちまちということはなくなる。 出産育児一時金は廃止の見通しだ。また、保険適用は自己負担3割が原則だが、出産は「自己負担なし」が前提になるとみられる。岸田文雄首相は23年4月、保険適用の場合でも「平均的費用を全てまかなえるよう、基本的な考え方は踏襲したい」として個人負担は増やさない考えを示していた。 だが、保険適用となった場合、料金が下がって収入が減り、経営悪化を理由に分娩から撤退する医療機関が出る懸念もある。そうなれば地域医療には大きな打撃だ。 社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の部会では、日本医師会の猪口雄二副会長が「地域医療にどんな影響があるのか、悪い影響は出ないのかも含め、十分な検討をしてほしい」と求めた。検討には慎重な議論が必要だ。 そのうえでは「見える化」がカギとなる。「出産なび」では、サービスや料金が可視化されることで、施設や地域によって料金差がある要因が分析され、市場原理で料金が均衡に向かうことも期待される。見える化と保険適用の検討は、いわば車の両輪となる。 ◇「病気でないから適用外」は本当か 出産の保険適用をめぐっては、「健康保険は病気やけがが対象であるため、それに該当しない出産を対象にするのは問題がある」という「原則論」からの批判もある。 ただし、これには疑問符が付く。 確かに、政府は長らく「正常分娩は病気ではないため、療養(治療の手当て)をする現物給付の対象にはならない」と説明してきた。「健康保険とはそういうものだ」ととらえる人は少なくない。 だがこれは、わかったようでわかりにくい理屈だ。 そうであるのなら、なぜ、健康保険は出産に一時金を現金給付するのかという疑問が生じるためだ。現物の医療サービスか現金の一時金かという違いだけで、条件を満たせば保険から給付する点は変わらない。 実際、ドイツ、フランス、韓国など公的医療保険がある国の多くでは、出産は現物給付で対応している。また、国際労働機関(ILO)の社会保障の最低基準に関する条約は、妊娠・分娩は現物の医療給付としている。 日本はこのILO条約を批准しているが、国内制度との違いを理由に、この部分を受諾していない。出産の現金給付はむしろ日本の特徴といえる。 最近の社会保障研究では、これには複合的な歴史的経緯があることが明らかになってきた。 出産費用への健康保険からの給付は、1927(昭和2)年の健康保険法施行にさかのぼる。当時は、出産する人を産院に収容するなどの現物給付も認めていた。ただし、産婆(現在の助産師)の立ち合いによる自宅出産が主流で、現物給付の体制が伴わず、現金給付が原則になった。 その後、43年には戦時下の出産奨励として、流産・死産を防ぐ狙いから、産院での分娩を促すため現金給付を積み増し、現物給付を中止した。 戦後も、都市と農村で分娩施設の普及に差が開き、保険適用で全国一律に現物給付するのが難しいなどの事情から、現金給付を継続した。こうした経緯を経て、「病気ではないため保険適用外」という後付けの解釈ができたと考えられる。 これを踏まえてか、最近の政府は「病気かどうか」という原則論よりも「地域や医療機関の間に費用差が大きい実態があり、出産する人のニーズも多様であり、標準化が難しい」という実態論からの説明に軸足を移すようになっている。 保険適用の検討にあたっては、通説に縛られず、あくまで実態に即した最善の道を考える必要があるだろう。