関電の金品受領問題 第三者委が会見(全文1)工事を発注させ、利益得る構造を維持
5万から10万の商品券を渡した
この受領の時期ですけれども、実は森山助役が退任いたしました、87年の5月に退任で、6月にはすでに第1回の金品贈与が行われております。これは大飯原発関係で、柳田産業を頼むという言葉を付けて、金額ははっきりしないんですが、5万から10万の商品券を渡したという事例でございます。その後、いわゆる若狭地域に存在します原子力部門の重要な役職員に対しまして、贈与が行われました。 2005年に原子力事業本部が立ち上がりまして、その後は大阪の本店におりました原子力部門の職員が大量に美浜にまいりましたので、それらの役職員も贈与の対象になったということであります。 次の変わり目は、いわゆる福島の第一原発の事故でありまして、その後、金額、それから人数ともに急激に増えてまいります。これは原発の再稼働の問題と、新しい規制によって大規模な工事が増えて、工事の金額が増したということが原因になっているのではないかと思われます。 それで、これからいろいろ説明していく中で、そんなことはあるのかなというふうに思われる可能性もかなりあるので、まず最初に、なぜ森山という人がそれほど関西電力に対して力を持ち得たのかという問題について、説明をまずして、そういう頭で聞いていただきたいと思います。
3・4号機の増設に向けて運動
皆さんは公表版、普通の版、でかい版がありますね。でかい、大きな、完全版がありますね。それの69ページを見ていただけますかね。そこに森山氏が3号・4号機の増設にどれほど関わったかということが書いてあります。1975年に彼は高浜町の企画課長でありましたが、当時の町長の浜田氏と非常に気の合うコンビでありまして、高浜町の衰退を防ぐためにはどうしても高浜3号機、4号機の増設が必要であるということで意見の一致を見まして、関西電力を協議を始めまして、関西電力と3者で、言ってみれば3・4号機の増設に向けて運動が始まったわけであります。 そして町長と助役は本来、関西電力が回らなければならない先を最初に根回しして回るっていう役割を果たしまして、あらゆる関係機関、つまり県とか、あるいは市会議員とか、それから住民であるとか漁業組合であるとか、回るべきところは全部回ったというようなことでございました。 それで1つの例を申しますと、増設に反対する一部の漁業関係者と折衝いたしまして、関西電力から地域振興費9億円を引き出して、浜田氏名義の口座に入金させる。そしてそのお金については漁業関係者の同意を得て、これを町道の舗装とか漁港の整備とかに充てる。これで漁業関係者の反対を収めるというようなことをしたわけでございました。 そこに別表というのがあって表がありまして、それは何かというと関西電力の担当者が、当時、森山氏についてどういうふうに評価していたかということを書いてあるものでございます。中身は必ずしも全部裏付けがあるわけではありません。ただ、当時の関西電力の担当者がどのように森山氏を見てたかということが分かるという意味では貴重な資料であります。