日本海軍が事実上壊滅した太平洋戦争マリアナ沖海戦から80年 現代に残した教訓は
――日本は米軍に攻撃されない位置から、攻撃機を発艦させる「アウトレンジ戦法」を取ったそうですが、通用しなかったのですか。 日本軍機は軽量のため、防御力が劣っていましたが、航続距離が米軍機よりも長い利点を持っていました。この距離を生かそうとしたのがアウトレンジ戦法です。しかし、パイロットの練度が落ちていたため、長い距離を飛行するだけで疲弊し、能力がさらに落ち、被害を大きくしました。しかし、当時の日本が戦争を継続する意思を持っていた以上、日本海軍が取りうる作戦はこれしかありませんでした。 ――なぜ、日本軍はパイロットの養成が遅れたのでしょうか。 日本軍は従来、少数精鋭主義を採っていました。海軍の場合、1930年代は年間のパイロット養成数が100人程度だったそうです。開戦後に急遽、年間数千人規模にしましたが、時間も機材も不足して間に合いませんでした。 第2次大戦は、真珠湾攻撃の成功から航空戦が主流になりました。日本は航空戦が中心になり、大量消耗戦につながっていくと予想する力が足りませんでした。 ――マリアナ沖海戦が現代に残した教訓は何でしょうか。 よく、どの国の将軍も「最後に自分が戦った戦争のイメージで、次の戦いの準備をする」と言われています。しかし、時代に応じて戦争の形は変わっていきます。未来の戦争を予測することは極めて重要です。 現代でも、宇宙や無人兵器、サイバーなど、新しい兵器や戦域が生まれています。以前と同じ戦術が通じるとは限りません。よく、「中国は第2次世界大戦当時の日本軍の戦略・戦術を研究している」と言われますが、中国が旧日本軍と同じ戦い方をするとは限りません。常に、未来を予想する力が問われているのです。
朝日新聞社