キッズラブゲイト──世界が注目する日本のアーティザナル・デザイナーたち
職人として、あるいはデザイナーとして職人を讃えながらアルチザン的なものづくりで国内外から支持を集める5つのブランドのクリエーションをひもとく。 【写真の記事を読む】職人として、あるいはデザイナーとして職人を讃えながらアルチザン的なものづくりで国内外から支持を集める5つのブランドのクリエーションをひもとく。
ロンドンの異才たちのスタイルを受け継ぐ
2024年春夏シーズンのコムデギャルソン・オムプリュス。そのランウェイショーの後、SNSでバズっていたのが、モデルたちが履いていたシューズだった。ひとつの足から、2つのつま先がにょきっと枝分かれして生えているような、斬新なデザインのダービーシューズ。制作を担当したのはキッズラブゲイトのデザイナー山本真太郎だ。 山本は、ロンドンの美術学校に通っていた1990年代、ロンドンのホルボーンにあったThe Old Curiosity Shopで靴づくりを学び始めた。80年代、カルト的な人気を誇ったシューズデザイナー、ジョン・ムーアのアシスタントだったイアン・リードとダイタキムラが開いた靴工房兼ショップである。「その系譜をもう少し辿れば、ジョン・ムーアが開いたThe House of Beauty and Cultureという伝説のショップがあって、そこにデザイナーのクリストファー・ネメスやスタイリストのジュディ・ブレイムなどが集まり、みんなでものづくりをし、遊んでいたんですね。ただ、ジョンの死後、そのお店は閉じることに。そこで、イアンとダイタキムラが、The Old Curiosity Shopをオープンさせたんです。1階はショップで、地下が作業場。僕はそこでふたりのアシスタントとして靴づくりを始めたのですが、改めて振り返れば、そのThe House of Beauty and Culture とThe Old Curiosity Shopの2つのショップに関わっていた他の人たちからもたくさんの影響を受けましたね。ジョン・ムーアは木型のデザインからすべて自分で行っていたりもしましたし、イアンもDIY的で、ショップの内装も自分でやっていました。みんなクラフツマンであり、創造力に富んだアーティストでした。靴づくりだけでなくその生き様やカルチャーも含めて、彼らから学んだことは多分にあります」 その後、山本は帰国し、国内の靴の企画製造会社を経て2008年、自身のブランドを立ち上げる。ロンドンと東京のカルチャーを融合させたデザインで、特徴的なのはそのボリューム感だろう。「自分自身、身長が低いこともあり、足元の靴にボリュームがあったほうが、全体のバランスがとりやすくて。木型を削る段階から、そのボリュームは意識しています」。一方で、歩きやすさにも配慮。実際、履いてみると革靴ながらも驚くほど軽く、疲れにくい。2024年秋冬シーズンのコレクションは、ミリタリーの要素をデザインに引用した。「街で見かけた、MA-1の上からオレンジのマフラーを巻いている女性のスタイリングがヒントになりました。ライニングをオレンジにしたり、履き口にパフを入れてMA-1 のニュアンスを出したり」と山本は話す。 なお、コムデギャルソン・オムプリュスとのコラボレーションは、2025年春夏コレクション(写真上)でも継続されている。こうした今までにないものを形にするとき、新しい技法、従来靴に使われない技法も取り入れる必要があったのでは?─そう問うと、山本は「それが、作り方としては、通常の靴と変わらないんです」と言い、こう続けた。「コムデギャルソンの川久保さんとのやりとりで印象的だったのは“ここはどうなっているのか?”と絵型に対して聞かれたその内容が、すべて靴の機能や本質に関わることだったのです。おそらくただのアートピースではダメ。履けること、歩けること、靴としてきちんと機能することが絶対的条件としてあるのでしょう。だから、あの見た目でも通常の靴職人の技でつくれるんです」 このコラボもひとつの大きな転機になったと山本。「ジョン・ムーアたちから“ものづくりは、当たり前でなくていい”と学んだつもりでしたが、その意味、またそうであることの面白さを今回のコラボで改めて感じましたね」。彼の靴づくりはまだまだ大きく進化する。 KIDS LOVE GAITE 山本真太郎が2008年にブランドを設立。山本は1974年、東京都生まれ。1990年に渡英し、シューズデザイナーのイアン・リード、木村大太のアシスタントを務め、2000年に帰国。OEM靴の企画製造・営業会社を経て、独立。写真のうち、トウがダブルになったシューズ2型が、2024年春夏シーズンのコムデギャルソン・オムプリュスとのコラボ。中底が飛び出たブローグシューズは、2024年秋冬での同コラボ。