「ええ投手になるで!」清原に絶賛された高卒ルーキーは、なぜたった“2勝”で引退したのか? 星野も落合もホレた天才右腕の悲劇と今
先輩・朝倉健太も驚き「中里は快速球」
2000年のドラフト会議で1位指名を受け、春日部共栄高校から中日に入団。高校時代からストレートとカーブの2球種のみで三振の山を築き、3年夏には埼玉大会・決勝で浦和学院高の坂元弥太郎(元ヤクルトスワローズ他)と高校球史に残る投げ合いを演じた。 ルーキーイヤーの2001年はファームで7勝を挙げ、150キロオーバーの球速を見せて台頭。チャンスを勝ち取った中里は、冒頭の通り、同年9月にナゴヤドームで一軍デビューを果たした。中里が当時を振り返る。 「登板感覚や体力面の課題は見えましたが、ストレートは通用する感触を持ちました。自分のパフォーマンスがしっかり出せればプロでもやれる、ということは感じましたね」 重力に逆らうかのように高めに浮き上がるストレートの質は、好投手が揃っていた中日においても際立っていた。首脳陣だけではなく、同じ投手陣でもその素質を絶賛する者もいた。前年のドラ1である朝倉健太は当時の中里との対談でこう話している。 「中里って前評判がめちゃくちゃ高かったでしょう。だから、どんな選手なんだろう…ヤバいな~って思っていたんだよね。実際には、評判通り…いやそれ以上かもしれない…! (省略)同じ速球派でも中里は快速球。僕は豪速球タイプだから。豪速球はプロじゃあなかなか通用しないんですよ」(プロ野球ai/2002年1月号より) しかし、先発ローテーション入りが期待された2002年のキャンプで悲劇は起きる。ミーティング後、ホテルの階段を降りている最中に足を滑らし、とっさに右手で手すりを掴んだ瞬間、右肩を脱臼したのだ。診断結果は右肩関節唇および関節包の損傷。利き腕の脱臼という投手にとっては致命的な大怪我から、復帰へ向けた3年超にも及ぶ長いリハビリ生活が始まった。 回復の兆しを見せていた2003年の秋季キャンプでも再び右肩を痛めた。診断結果はまたしても右肩の脱臼で、復帰は遠のく。これまでメスをいれて球速が戻った前例はほとんどなく、中里自身も当初は手術を拒否していたが、癖になった脱臼を解消するため決断を迫られた。当時の心境を雑誌のインタビューでこう話している。 「全ては復帰のため、前向きな思いで手術に踏み切りました。それでも本当に良くなるのか、この決断は正しいのかと毎日悩みましたよ。不安で不安でしかたがなかった。オペ室に運ばれている時も天井を見上げながら、『今、やめると言ったらどうなるかな』と考えたりしましたからね(笑)」(週刊ベースボール/2006年2月13日・20日号より)
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