<私の恩人>すっちー “道”を作ってくれた先輩…座長になることが恩返し
「M‐1グランプリ」や「R-1ぐらんぷり」に次ぐ新たなお笑いバトル「歌ネタ王決定戦2013」で初代王者となったのが、吉本新喜劇のすっちー(41)。同じく新喜劇の松浦真也とのコンビ「すち子&真也」として出場し、嘉門達夫、キンタロー。ら強豪がひしめく中、栄冠を勝ち取りました。ビッグタイトルに加え、今、最も新喜劇の新座長に近いと言われるすっちーが恩人として挙げたのは…。 吉本新喜劇座長の小籔千豊さんです。小籔さんも、僕も、もともとは漫才コンビを解散して新喜劇に入った“途中参加組”なんです。 僕が96年から07年まで組んでいたコンビ「ビッキーズ」を解散して、新喜劇入りを考えた時も、先に新喜劇に入られていた小籔さんに相談しました。
小籔さんからは「独特な世界やから、馴染めるかどうか、向き不向きがある。でも、お前は向いてると思う」と言っていただいたんです。その言葉に背中を押された部分が大きかったんですけど、正直、本当の意味はその時点では分からなかった。ただ、実際に入ったら、よーーく分かりました。 新喜劇は、舞台でも楽屋でも、常に一緒ですから、いわば大家族なんです。そこに入るということは、言うたら、いきなり「ビッグダディ」の家に末っ子として入るようなもんです(笑)そら、もう「なんやねん、この家は!?」てなことだらけですよ。 例えば、楽屋におったら、いきなり大きな声を張り上げる師匠とかもいらっしゃいますしね。ま、これはチャーリー浜さんのことなんですけど、新喜劇全体のエピソードで言うたら、まだまだ薄口ですから、実名を出させていただきます(笑)チャーリーさん、楽屋にかばんが散らかってたら、そのかばんが天井にぶつかってへしゃげるくらいの勢いで、いきなり放り投げはります。ハンマー投げの室伏広治ばりの叫び声を上げながら。 もちろん、チャーリー師匠には楽屋の規律を守らなアカンというお考えがあってのことやとは思うんですけど、正直、いきなりそんな光景を目の当たりにしたらビックリしますやん。そんなことが、毎日、山のようにあるんです。オドオドしてる僕を、長男的な立場で導いてくれたのが小籔さんなんです。 中でも、特に小籔さんに教えられたのは「新喜劇は船である」ということです。まず考えるべきは、この船がいかに順調に航行を続けていけるか。いくら自分だけがはしゃいでみても、船がなくなったら、自分を含め、乗組員みんなが困ってしまう。 だから、小籔さんは街でファンの方に「写真撮ってください」と言われた時も、撮った後に必ず「新喜劇、見てね!」と言わはるんです。フジテレビ系「人志松本のすべらない話」とか全国ネットの番組に出演する時も、「アイアム座長」というキャッチフレーズをおっしゃる。自分は“新喜劇の小籔”であり、“新喜劇の座長”であるというアピールをするんです。 僕自身の、座長というポジションへの思い?これはハッキリと申し上げます。僕は座長になりたくて新喜劇に入りましたし、頑張って、座長になります。「歌ネタ王・・・」での優勝もありましたから、今は、その思いがより一層、強くなってるのは事実です。 漫才を辞めて新喜劇に入った時、小籔さんが“道”を作ってくれていた。何にもなかったところに道を作って、街灯を立てて、後を歩いてくる人間が歩きやすい環境を作ってくださっていた。絶対に足を向けては寝られないです。そして、これからは自分も次の人のための“道しるべ”になっていかなアカンと思っています。それしか、恩返しはないですから。 (聞き手/文責 中西正男) ■すっちー 1972年1月26日生まれ。大阪府摂津市出身。本名・須知裕雅(すち・ひろまさ)。96年、漫才コンビ「ビッキーズ」を結成。NHK上方漫才コンテスト最優秀賞などを獲得するものの、07年に解散。解散後は新喜劇に活動の場を移す。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年大阪府生まれ。大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」に出演中。