文庫版がベストセラー『百年の孤独』とフェイクニュースの意外な共通点…石戸諭が語る「魔術的リアリズム」の核心とは
ルポ的技法と小説的技法
「『幸福な無名時代』はベネズエラ時代のルポルタージュを集めた作品です。中でも『1958年6月6日、干上がったカラカス』が抜群に面白い。作品では冒頭に“もしもあした雨が降ったら、このルポルタージュは嘘だったということになる。六月に入ってまだ雨が降らなかったときに読んでみること”と注釈がついています。水不足問題を扱ったこのルポは実は架空のもの、フェイク・ルポルタージュなんです。しかし、実際に読み込んでいくと、本物のルポのように感じられるのです」 実はここにガルシア=マルケスの魅力があると説く。 「彼の小説の特徴はディテールの書き込みにあります。それも細かすぎる、と言いたくなるほどに詰め込む。一つの描写を細かく書き込んでいくことによって、小説にリアリティを持たせているのです。実はこのディテールの積み上げというのはジャーナリズム的方法そのままなんですね。ある事件が起きた時に、メディアは犯人が犯行時にどういう格好をしていたのか、どんな髪型なのか、どんな車に乗っていたのか、詳細に取材します。そのディテールを積み上げることで読者に分かりやすく、イメージができるように原稿を作っていく。そうした方法をガルシア=マルケスは小説の世界に導入したと言えるのです」 石戸氏はその後、田舎で起きた殺人事件の真相を追及する『予告された殺人の記録』を読み、ルポ的技法と小説的技法をミックスして書いているのだと確信する。 「この作品は事件についていろんな人が証言している話を集めているものとも読めて、僕には新聞社における事件取材そのものでした。一つの事件にもいろんな側面があり、立場によって見え方が違う。そういう点では記者として勉強になりました」 そして『百年の孤独』を改めて読み直した。 「すると1度目に読んだ時とは全く違う衝撃を受け、これが名作と言われる理由が氷解しました。実はガルシア=マルケスの特徴と言われる魔術的リアリズムというのは、それほど難しいことではなく、やはりジャーナリズムの手法を持ち込んで“ディテールを書き込む”ということだったんですね。神話的世界を構築されているんだけど、実際に出てくる登場人物は“こういう人いるよな”と市井にいそうな人物として描写されています。そして、リアルには起こり得ないこと、人が浮く、昇天していく、という描写も細かく描かれる。1960年代にアメリカで起きたニュー・ジャーナリズムは客観的な記述よりも、集めた事実をもとにストーリーを組み立てることが重視されました。つまり、“ジャーナリズムの世界に小説的技法を組み込んだ”のですが、ガルシア=マルケスはその逆、“小説の世界にジャーナリズムの方法を組み込んだ”と言えるのです」