日本S直前に“暴かれた”去就 敵にバラされメディア殺到…名将が機嫌損ねた一言
日本一直後に退任の挨拶…野村監督から「苦労かけたなぁ」
「恭介も『わかってます』って言っていたのに、私が球場に着いたらどんどん近づいてきたんですよ」。伊勢氏は自身の恩師で、その時はオリックスのヘッドコーチだった中西太氏に挨拶。「オリックスのティーバッティングのところで太さんと話をしていたら、恭介がファーストベンチの前までやってきたから、“あいつぅ”って思っていたんです。そしたら今度は太さんがあおりよったんです。新聞記者とカメラマンに向かって『来年の近鉄監督とヘッドコーチやぞ』ってね」。 その瞬間、カメラマンが伊勢氏を一斉に撮りだした。「シリーズ1戦目の前ですよ。新聞社が全部、こっち向いてパチパチって。そりゃあノムさんは機嫌が悪くなりますよね。恭介が『もうこうなったら野村さんに挨拶しないといけないですかね』っていうから『当たり前だろ、来るなって言ったのに。ノムさんはそこにおるから“お世話になります”って頭下げてこいよ』って行かせたんですよ」。そんなスタートからの日本一。伊勢氏がホッとしたのは言うまでもない。 10月26日の神宮球場での第5戦に勝利して野村監督を胴上げし、祝勝会後の都内のホテルで伊勢氏は指揮官の部屋を訪ね、「長い間ありがとうございました。お世話になりました」と挨拶したという。「ノムさんはパンツ1枚でケツを向けたままだったけど『うーん、そうか……。お前にはずいぶん苦労かけたなぁ、ありがとうな』って初めて言われました。それから家に帰って家族会議を開き、今村の親父にも『お世話になります』って電話したんです」。 1990年から1995年までのヤクルト打撃コーチとしての6年間は、伊勢氏の指導者人生を大きく変えた。思い出は尽きない。野村克也氏には感謝しきれない。そんな気持ちを胸に、1976年オフにトレードでヤクルトに移籍して以来の近鉄のユニホームに袖を通した。佐々木監督を支えるヘッド兼打撃コーチに就任した。それは同時に野村ID野球の伝承者としてのスタートでもあった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi