日本S直前に“暴かれた”去就 敵にバラされメディア殺到…名将が機嫌損ねた一言
日本S開幕前、後輩の近鉄監督就任を口利き…自身も受けた入閣要請
話はシリーズ前に遡る。きっかけは近鉄新監督候補に当時評論家だった佐々木恭介氏の名前が報じられたことだった。「恭介は実家が同じ兵庫県で丹波の方なので、昔からかわいがっていて『来年、お前が監督をやるようなことが新聞に出ていたけど、そんな話、あるんか』って電話したんです」。 さらにこう続けた。「恭介が『そんなのひとつもありません』って言うので『実際のところはどうなんだ、やりたいのか、やりたくないのか、どっちや』って言ったら『やりたいです』って。それで『今村の親父に電話で相談してお願いしますって言ったのか』と聞いたんですけどね」。 伊勢氏は1963年から1976年まで選手として近鉄に在籍。「今村の親父というのは私が現役でやっている時の球団フロントで、まだ、力がある人だったんですが、恭介は『僕は今村さんを知りません。伊勢さんは知っているんですか』と……。『知っているよ。いまだに付き合いもあるよ』と話したら『お願いしてくれませんか』という話になって、私が今村さんに『恭介にやらせてもらえませんか』と電話したんですよ」。かわいい後輩のために一肌脱いだわけだ。 「今村さんには『伊勢よ、3日待て』と言われました。で、3日目に電話がかかってきて『お前がヘッドコーチで(近鉄に)帰ってくるなら、佐々木に監督をやらせる』って。『ちょっと待ってくださいよ。私は今から(オリックスとの)日本シリーズなんですよ』と言いましたよ。そしたら『返事は日本シリーズが終わってからでいいから、とりあえず、そういう条件付きだ』となって……。それを恭介に伝えました」 そんなこともあって日本シリーズの開幕を迎えた。「1戦目に(ヤクルトが)球場入りしたときに、恭介が(近鉄内野手の)中村紀洋と一緒にファースト側のブルペンの近くにおったんですよ。恭介は放送局の仕事などがあったのでね」。伊勢氏は佐々木氏に「球場では俺のところには絶対来るなよ。そういう(近鉄人事の)噂は新聞社も知っているから、ええネタになってしまうぞ」と伝えていたという。ところが、思わぬ展開になった。