【伊原春樹コラム】徳武定祐さんが天国へ――。ほぼ話したことのない大先輩から受けた突然の電話
中日では95年に監督代行も務めた[右は当時の大島宏彦オーナー。写真=BBM]
【伊原春樹の野球の真髄】 強面だが、朴訥とした語り口調が忘れられない。11月14日、国鉄、中日などで三塁手として活躍し、ロッテ、中日では指導者として手腕を発揮した徳武定祐さんが悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなられた。86歳だった。 私は徳武さんがユニフォームを脱いだあとに西鉄に入団した。徳武さんがロッテのコーチを務めているとき(1977~78年、80~88年、90~91年)も西武で選手、コーチとしてグラウンドに立っていたため、会えばあいさつを交わすがじっくりと話した記憶はない。 そんな徳武さんからいきなり電話がかかってきたときのことをよく覚えている。徳武さんが高木守道監督の下で2度目の中日コーチに就任することが決まった91年秋のことだ。それは・・・
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週刊ベースボール