14年間470試合登板の巨人レジェンド「先発中継ぎ抑え何でもござれの西村健太朗」
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第12回は西村健太朗。 【写真】阿部監督が語る「ザ・ベストシーン」34万人が集結 09年日本一銀座パレード「ゾクゾクした」 * * * 14年間で470試合に登板。登板数6位にランクインするのが「先発、中継ぎ、抑え、何でもござれの西村健太朗」だ。 1985年5月10日、広島県生まれ。広陵高3年の2003年センバツで全国制覇、同年ドラフト2巡目指名で入団。 05年9月1日のヤクルト戦で先発しプロ初勝利。07年からは中継ぎとして1軍に定着し、チーム最多の57試合に登板。09年からは本人の先発志願もあり、11年7月16日のヤクルト戦で初の完投勝利を遂げる。12年は久保裕也の故障で開幕時に抑えを任される。夏前からはスコット・マシソンが抑えになったことでセットアッパーに配置転換。だが、マシソンの離脱で再び抑えとなり、8回・山口鉄也、9回・西村の必勝パターンが完成する。3人の名前をつなげ「スコット鉄太朗」と称された。 13年も守護神として2年連続30セーブを挙げるなど両リーグ最多の71試合登板を果たし、球団記録の42セーブをマーク。93年石毛博史、08年クルーン以来の30セーブ以上で、自身初のタイトルとなる最多セーブを獲得した。 14年は主に中継ぎで49登板、15年は先発と、18年に引退するまでチーム事情に合わせてマウンドに上がり続けた。
報知新聞社