そうだったのか…!意外と知らない「歴史的芸術作品」が生まれる「納得の構造」
塑像の神様:芸術ネットワークの機能と逆機能
反対にこうした芸術ネットワークの経営が異様に上手い人も存在する。 そうした人の手にかかれば、著名な絵画の模造品の髭を描き足したり髪型を変えたりするという中高生のおふざけのような作品であっても一流の現代アートとして認識される。それどころか、特定の芸術家を中心とする芸術ネットワークは、ひとたび成長軌道に乗ると勝手に拡大していく。 なぜならば芸術作品を本当に理解している人などほとんどいないためだ。 その場合、芸術作品は難解であればあるほどいい。芸術家本人が混乱しながら作品を作った場合でさえ、すでに富と名声を得ている芸術ネットワークを構成する人々は「これは、ポスト・モダン的な……。さすが○○先生、新しい」などと口々につぶやくことだろう。 芸術ネットワークの中心にいる作家の作品を購入した大富豪は、作品の価値を理解していなくても、値段が下がったら困ることだけは理解している。だから美術家のパトロンたちは、自分が購入した作品の作者を「芸術の定義自体を変えた(真意:自分の常識では到底理解できない)」と持ち上げて心の中で「値段よ、上がれ!」と祈る。 画商、画廊、プロデューサーといった「芸術の流通業者」も同じだ。自分が一枚かんでいる芸術ネットワークが生まれたら、それが成長することで多額の手数料が入る。だからこそ彼らは一度構築できた芸術ネットワークの価値を下げるようなことを(中心となる芸術家の芸術ネットワークの経営があまりに不出来でないかぎり)するはずがない。 一般客もこうした芸術ネットワークに花を添える。 実は画廊に通う一般客の大部分は美大出身者である。先端音楽の消費者の多くは音大出身者であり、演劇鑑賞を趣味とする人のほとんどは演劇部出身者だ。純文学雑誌を購読しているメイン層は純文学新人賞の応募者である(恥ずかしながら私も文芸部時代からいまだに純文学雑誌を購読し、分析し続けている)。 彼らは芸術の規則を嫌というほど学んでいる。だからこそ作品の価値が分からないなどとは死んでも言えない。解説記事や考察ブログを盗み見て、例のごとく既存の巨大芸術ネットワークへの賛辞をひねり出す。 本書もまた、最初に権威者が褒めるか貶すかで、その後の反響は大きく変わるだろうと予測しておく(こういっておけば評価されなくても言い訳が立つので便利である)。 人は芸術家になるのではなく芸術家にされる。だからこそ、「芸術家自身が芸術ネットワークに絡めとられて身動きができなくなる」という逆機能にも注意する必要がある。 ある芸術家が特定の地域/分野での芸術ネットワークで成功すると、その芸術ネットワークは自己成長する。同時にこの芸術ネットワークは当該芸術家が同じ芸術ネットワークにとどまり続けて作品を創造し、富と名声を分配し続けることを望むようになる。 結果としてその芸術家の新たな場所/領域での芸術的挑戦をあきらめさせる。たとえば、特定の場所での個展を強いたり、特定の方法での演奏を押し付けたり、特定の雑誌での連載を求めたりしてくるなどだ。 もちろんそのおかげで芸術家は安定した生活の糧が得られる部分もある。芸術ネットワーク内から「芸術家をこうした柵から解き放って飛躍させよう」という声が上がることもある。とはいえ上述の逆機能により芸術作品が埋もれる可能性は認識しておくべきだろう。 芸術の中にさえも経営は見いだせるのである。 ---------- 参考文献 Becker, H. S.(2008). Art worlds: Updated and expanded. Berkeley, CA: University of California Press. 邦訳:ハワード・S・ベッカー『アート・ワールド』、後藤将之 訳、慶應義塾大学出版会、二〇一六年。 電通美術回路編『アート・イン・ビジネス:ビジネスに効くアートの力』、有斐閣、二〇一九年。 Fraiberger, S. P., Sinatra, R., Resch, M., Riedl, C., & Barabási, A. L.(2018). Quantifying reputation and success in art. Science, 362(6416), 825-829. 山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? :経営における「アート」と「サイエンス」』、光文社、二〇一七年。 ---------- つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)