そうだったのか…!意外と知らない「歴史的芸術作品」が生まれる「納得の構造」
なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……。わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。そもそも「経営」とはなんだろうか。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い 経済思想家の斎藤幸平氏が「資本主義から仕事の楽しさと価値創造を取り戻す痛快エッセイ集」と推薦する13万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が日常・人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語る。 ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
芸術は経営でできている
すぐれた芸術家ならば誰でも知っているように、「厳密な意味で」孤高の天才が一人だけで成し遂げる芸術はこの世に存在しない。芸術が成立するには作品の価値が創造され理解される「芸術ネットワークの経営」が不可欠となる。 そもそも絵画であればキャンバス・絵具・筆などが、音楽であれば楽譜・楽器・音響機器といった人工物の数々が必要となる。これらの人工物は当然ながらどこかで誰かが作ったものである。 もちろん世の中にはこうした人工物を必要としない芸術表現もある。たとえばそこらの路上で素っ裸になって踊り狂うタイプの芸術などはその極端な例だろう。 しかし、こうしたパフォーマンスでさえも、過去に演じられたダンスの定石・基礎を踏まえていたり、事前に行政の許可を得ていたり、何かしら他人の関与がある。それに、どのような芸術であれ、観客なしでは成り立たない。その意味で、あらゆる芸術は他の誰かの力を借りて成り立っているのである。 ここで天邪鬼な人であれば「それならば、観客もおらず、無断で路上を占拠し、ダンスの定石・基礎など無視して、素っ裸で踊った場合は、孤高の芸術といえるじゃないか」と思うかもしれない。 しかしそれはもはや狂気の沙汰かせいぜい変態の趣味である。 芸術とは呼ばれず即座に警察のお世話になるだけだ。