「命令に従った」は通用しない 問われる個人としての戦犯~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#44
米軍機搭乗員3人の殺害に対して、41人に死刑が宣告された石垣島事件。戦犯裁判にかけられた元日本兵たちは、米軍の調査官らから「共同謀議」が成立するように「命令なく自主的にやった」という内容を強要、誘導された調書を取られ、その後弁護人に「命令があった」と訴えた。しかし、「命令に従った」としても死刑から免れることができなかったのが藤中松雄ら実行者たちだ。「命令だった」は通用しないのだろうかー。 【写真で見る】被告人席に座る東條英機(東京裁判)
軍隊では「命令に対する服従は絶対」
戦勝国が敗戦国を裁く戦犯裁判。日本が受諾したポツダム宣言には「戦争犯罪人の処罰」が含まれていた。「通常の戦争犯罪」にあたる捕虜虐待で、BC戦犯として横浜軍事法廷にかけられた石垣島警備隊の炭床静男兵曹長。処刑の現場を仕切っていた榎本中尉の命令によって、炭床兵曹長は杭に縛られていた米軍機搭乗員のロイド兵曹を銃剣で1回刺した。その前にすでに20人程が刺突していたという。すでに沖縄戦が始まり、連合軍の石垣島への空襲も激しくなっていた。職業軍人ではない職人など市井の人たちが多く集められていた石垣島警備隊の士気をあげようと、ロイド兵曹は刺突訓練の的にされたのだ。榎本中尉は、「次、次」と命令し、多くの兵に突かせた。 〈写真:降伏文書の署名〉 国立公文書館が所蔵する石垣島事件のファイルの中に「横浜石垣島弁護団松井調査官よりの照会文回答案」というものがあった。海軍の用紙に記されている。弁護団が海軍での命令についての説明を裁判に提出したのだろう。それによると、 「命令とは、指揮権を有する上官が、部下に行為又は不行為を命ずるもので、その条件としては命令者及受命者の職務権限内の事項に関し、且つ適法なるものでなければならない」とある。そしてどの程度、命令に従わねばならなかったかというと、「命令に対する服従は絶対的」であり、一旦命令を受けた後は、それが難しいだとか、実行を怠る、また、それをするかしないかについて意見を述べ合うなどは断じて許されないと書いてあった。 〈写真:石垣島事件の法廷 左から4人目が炭床静男兵曹長(米国立公文書館所蔵)〉