「父がくも膜下で急死」左官屋の愛称で「から騒ぎ」で人気を博した西方凌 人生を変えたのは「落ち込む母の発した言葉」
母の思いを何となく感じていたことに加えて、「から騒ぎ」に出演していたころから「被写体になってほしい」というお手紙をずっとくださっていた女性カメラマンの存在もあって。1度会って友だちになってからは「東京に出てきて一緒に何かやろうよ」「ここに一緒に住んで、こういうふうにしていこうよ」と、住むところを探してくれたり今後のビジョンを明確に示してくれたり、猛プッシュだったんです。母に相談すると、当然母からも猛プッシュされて(笑)。「チャレンジしてみて、ダメだったら戻ってきて左官屋をがんばればいいんじゃない?」とアドバイスされて、私も若かったので、「じゃあ1回やってみようかな」という気持ちになり、東京に出てきました。23歳のときですね。
── 上京後の生活はいかがでしたか? 西方さん:一緒に住み始めた女性カメラマンも駆け出しだったので、作品作りのお手伝いをしたり、いろいろなバイトをしたりして生活していました。焼肉屋やスーパーで働いたこともありますし、不動産会社の事務、ホテルのフレンチレストランのサブマネージャーをしたこともありましたね。モデルをしたりPVのオーディションを受けたりしながら、いろいろなバイトをして食べつないでいました。
PROFILE 西方 凌さん にしかた・りょう。1980年8月生まれ。人気バラエティ番組『恋のから騒ぎ』第9期生として約1年間出演し、「左官屋」の愛称で人気に。翌年から芸能活動を開始し、2009年4月公開の映画『ニセ札』で俳優デビューを果たした。監督を務めた木村祐一さんと2012年5月に結婚し、現在は2児の母。 取材・文/長田莉沙 写真提供/西方凌
長田莉沙