藤田寛之さんが来季米シニアツアーのシード入り 2人きりの全米オープン予選会を思い出した【プロキャディー25年 梅ちゃんのツアー漫遊記】#8
【プロキャディー25年 梅ちゃんのツアー漫遊記】#8 僕が藤田寛之さんの専属キャディーになったのは1999年。無名で小柄(168センチ)なプロが、ジャンボ(尾崎)さんの猛追を振り切り優勝した97年のサントリーオープンを見て感動。ゴルフ場の研修生だった僕はプロゴルファーになる夢をあっさり捨てて、押しかけ同然で雇ってもらったのです。 【写真】ゴルフ界の“ビジュアルクイーン”臼井麗香がコース新「63」の大爆発!前夜祭では「悩殺衣装」披露 藤田さんは関西や関東圏での試合が終わると愛車でホームコース(静岡・葛城GC)へ直行。ドライビングレンジでボールを打ち始めます。自宅はゴルフ場の近くだったけど、試合後なのに夜遅くまで練習し、翌朝7時には再びホームコースへ向かう。当時のツアープロは、みんなそうだと思っていたんですが、そこまでやっている人は珍しかった。ちなみに、その頃の藤田さんは独身。居候していた僕は、家賃も食事代も交通費もタダ。生活の面倒も見てもらっていたのです。 その藤田さんが、来季の米シニアツアーのフルシード権を獲得しました。 そこで思い出したのが全米オープンの予選会です。本戦初出場は2010年。難コースのぺブルビーチでしたが、それより前、確か02年に現地予選会を受けたのです。今は国内でも予選会は行われていますが、それが始まったのは05年から。こう言ってはなんですが、当時の藤田さんは、まだツアー2勝です。わざわざ米国まで行って予選会を受けるとは思いませんでした。4大メジャーの中でも、全米オープンには特別な思い入れがあったようです。 現地の宿舎は2階建ての安いモーテル。スタート時間は7時前だったか、とにかく早い。当日の朝はどこも飲食店はやっていない。マクドナルドを見つけたのでドライブスルーで注文すると、僕も藤田さんもマイクの声が何を言っているのかさっぱり。やがて店の人が出てきて、まだオープン前と教えてくれました。その後、コース方面に車を走らせると古くて小さな店が一軒だけ開いていて、そこでパンとコーヒー、エッグなどをお腹に入れて試合に向かいました。 トッププロになると、海外メジャーにはキャディーの他に、マネジャーや契約メーカーのスタッフ、トレーナーなども同行します。当時の相棒は外国に不慣れな僕だけなのに、藤田さんは不安な顔を見せたことは一度もなかった。体は小さいが肝っ玉は据わっているんです。予選会は1日2会場で36ホールをプレー。18ホールが終わるとレンタカーで次の会場へ移動しました。この挑戦は「不合格」に終わったものの、「全米オープンに出るのが夢なんだな」としみじみ思ったものです。 藤田さんは過去、4大メジャーに計20試合近く出て上位フィニッシュはかないませんでした。それが今年の全米シニアオープンではプレーオフに敗れて惜しくも2位。55歳の新たな挑戦が楽しみです。 (梅原敦/プロキャディー)