なぜ村田諒太は王座陥落したのか。封じられた“三種の神器”
研究され足で翻弄された
「村田はパターンを研究され尽くしていた。特に武器である右のストレートを徹底的に警戒された。ブラントは常に足を使って動き、頭の位置を右のパンチをもらわない場所に置いていた。サイドステップで左右に動き、ロックオンさせず、足を止めた場合は、しっかりと右のストレートの軌道を読んでガードした。加えてボディ対策も徹底していた。右のストレートと同じくらいボディを警戒していたのがわかる。左のボディが来ると右へ、右のボディが来ると左へ。徹底したステップワークで、ひとつも芯でパンチを食らわなかった」 シャットアウトされたのは右ストレートだけではなかった。ボディ、ブロックという村田が世界のベルトを腰に巻いた“三種の神器”がすべて封じられたのだ。 5ラウンドに入ると、村田は、上体を左右に揺らしてリズムを取った。ワンツーがヒット。ようやくブラントの動きが止まる。確かなダメージブローだった。効いていた。だが、足で、ごまかされ、フィニッシュまで運べない。終わってみれば、ここが最初で最後のチャンスだった。 7ラウンドに入ると、村田は右をフック気味に外から打った。「右を読まれて見切られていた」。相手の対策を感じ取っていた村田らしい工夫。左手で動くブラントを抑えておいて右を狙う。反則スレスレの荒っぽい喧嘩殺法をも仕掛けたが、それは現状打破の答えではなかった。 8ラウンドには、もう一度冷静に原点回帰。左のジャブから丁寧なボクシングを組み立てて、アメリカ人の支配から抜け出そうと試みたが、ブラントのステップもパンチも止まらなかった。 村田は、試合後、「スタミナがもっと早く切れると思った」と振り返った。だが、飯田氏は、「いつものような村田のプレッシャーがかかっていなかった。下半身に力が入らないので、前傾姿勢が保てていなかった。ブラントが消耗しなかった原因はそこ」と指摘した。 9ラウンドには、左ストレートを浴びて、ガクンと後ろへのけぞった。手ごたえを感じたブラントは、胸を叩いて青コーナーに戻った。 ブラントが、いくらパンチのないボクサーといえど、ミドル級のパンチをこれだけ浴び続けると、それは蓄積となって、村田からジワジワと逆襲のパワーを奪い取っていく。 「11ラウンドはふらついた」 本来ならば「チャンピオンズラウンド!」と場内にコールされた、11、12ラウンドに一発逆転の勝負をかけねばならなかったが、もう生きたパンチは残っていなかった。 無残に腫れた顔で試合終了のゴングを聞いた村田は、その瞬間に「もう完全に負けたな」と敗北を受け入れていた。 米メディアがカウントしたパンチ数データは、ブラントが合計1262発中356発がヒット。一方の村田は合計774発中180発がヒットというものだった。 ブラントは、2か月前からラスベガスに入り入念な準備をしていた。朝から晩まで村田の過去ビデオを見ていたという。4か月前から元WBA世界ライトヘビー級王者のエディ・ムスタファ・ムハマド氏がトレーナーに就任。かつて村田が、ラスベガスで合宿を張っていた際に、スパーリングパートナーを連れてきたこともある、この元世界王者は、村田を“丸裸”にして、確かな策を授けていた。