小倉焼うどん発祥の店だるま堂 被災から1年の店主の思いとは
テレQ(TVQ九州放送)
2024年の1月3日、北九州市の繁華街・鳥町食道街を火災が襲いました。地元名物の店を営む男性は新年を前に、発祥の地で新たな一歩を踏み出しました。 12月15日、鳥町食道街に車がやってきました。降り立ったのは、竹中康二さん。小倉焼うどん発祥の店、だるま堂を営んでいます。 だるま堂 竹中康二店主 「よろしくお願いします」 この日は、火災の後初めて鳥町食道街で焼うどんをつくります。場所はだるま堂の前です。店舗は火災の影響で使えませんが、目の前の土地を期間限定で貸してもらうことができました。 だるま堂 竹中康二店主 「やっぱり鳥町食道街に復帰するっていうので、いろいろなご支援の声なんかもいただいてて、注目を浴びてるなという風に実感しております」 年明け間もない1月3日に起きた鳥町食道街の火災。発生から42時間後に鎮火し、36店舗が被災しました。竹中さんにとって大きな試練の始まりでした。 だるま堂 竹中康二店主 「ほんとにこの1年、早いようでほんとに色々あったせいかな。ほんとに長い1年だったなっていう風に思っております」 鳥町食道街で80年前に創業した小倉焼うどん・だるま堂。店主の竹中さんは、4年前に店を引き受け、老舗の味を守ってきました。食道街の火災では周囲からの延焼は奇跡的に免れました。それでも・・・ だるま堂 竹中康二店主 「浸水の被害がすごくひどくて、これはもう営業とか再開ってのは無理なんだなと、一目見たときに思いました」 4カ月後、小倉井筒屋の中に移転オープン。開店を聞きつけた市民などが訪れ、久々の味を堪能していました。この時点ではまだ、がれきの撤去が続いていた鳥町食道街。いち早く地元の百貨店で老舗の味を復活できた喜びも感じました。 だるま堂 竹中康二店主 「小倉のやっぱりお店同士が、地元の方々のためにそういうストーリー作りをしたのがすごくいいよねとかいう言葉を聞いたりしましたですね」 それからさらに8カ月。火災後初めて発祥の地・鳥町で焼うどんを作ります。前の日までに、テントや鉄板などを設置。肉や麺など300人分を用意しました。しかし不安もあります。 だるま堂 竹中康二店主 「うち単独なのでイベントとかと違ってお客さんが来る保証があるわけじゃないし、そういう面では、ほんとにどんだけお客さん来るのか」 小倉焼うどん発祥の店、だるま堂を営む竹中さん。2024年1月の火災以来初めて、店舗があった鳥町食道街に限定で店を出します。開店前にもかかわらず、顔なじみの客もやってきました。いよいよ開店です。 だるま堂 竹中康二店主 「きょうは集まっていただきありがとうございます。いまから販売開始いたします」 販売開始を聞きつけた人が次々に買い求めていました。中には、その場で食べる人も。 男性客 「(席に座って)いつも)おいしいだるま堂の焼うどんを食べたいと思います」 子ども客 「焼うどん。だるまの味」 男性客 「完食しました」 焼うどん発祥の店に対する市民の思いは強いようです。 だるま堂 竹中康二店主 「鳥町にだるま堂があってこその鳥町食道街だいう声なんかもいただいて、やっぱりご支援、ご助言のような声なんかもかなりいただいて、ほんとにありがたい限りだなと思います」 一方、鳥町食道街は約4000万円かかるとされたがれきの撤去費用を市民からの募金などで調達。2024年11月には焼失を免れた店舗が、外壁の修復工事を始めました。早ければ 2025年1月から鳥町食道街の一部の店がオープンします。だるま堂は 火災からちょうど1年後の2024年1月3日、キッチンカーを持ち込み、毎日 営業する予定です。JR門司駅近くの門司赤れんがプレイス。ここに竹中さんが大切にしているものが、置かれています。 だるま堂 竹中康二店主 「これは被災からちょっと免れて鳥町食道街の東側のところの入口のとこに掲げられていた看板ですね」 鳥町食道街の東側の入り口に設置されていた看板。竹中さんは廃棄される寸前に、許可を得て持ち帰りました。そこには食道街への思いがあります。 だるま堂 竹中康二店主 「来年がちょうどだるま堂もそうですけど、この鳥町食道街がスタートして80年なるんですよね。そういう意味では、この鳥町食道街にとっても節目の年でもありますので、何らかの形で復興に向けた働きかけができないかなとか、また、だるま堂自体も80年を記念して、やっぱりあの場所で何かに イベント的なことなんかもしたいなと思っています」
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