宇野昌磨、2年前から引退考えていた…N・チェンと羽生結弦さんに「さみしい気持ちと取り残されてしまった思い」
フィギュアスケート男子で2018年平昌、22年北京両五輪メダリストの宇野昌磨(26)=トヨタ自動車=が14日、都内で引退会見。プロ転向を表明し「最善のフィギュアの形を追い求めていきたい」と変わらず滑りを極めていく。メダル候補に挙げられていた26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪を2年後に控えた時期の決断についての未練はなく、21年間の競技生活を終え「幸せだった」とかみしめた。今後はアイスショーを中心に活動する。 素直な思いを語りつくした、宇野らしさあふれる45分間だった。シックなスーツにネクタイを締め、競技者としてラストを迎え、壇上で改めて現役引退を表明。競技会への未練は「全くない」とすがすがしく、「本当に幸せだった。まさか僕がこういう選手になれるとは。失敗も成功も宝物のような時間」と競技生活を振り返った。五輪では日本勢最多3個のメダル、世界選手権では日本男子初の連覇を達成。26歳は大きな功績を残し続けた。 引退を意識し始めたのは2年前。「雲の上の存在」と目標にしてきた五輪連覇の羽生結弦さん、休養中の22年北京五輪覇者のN・チェン(米国)が競技会を去った。「さみしい気持ちと取り残されてしまった思いもあった」と吐露した。かつてない喪失感。歴代2位タイの6度目優勝を果たした昨年の全日本後、ランビエル・コーチに引退を伝えた。「果たしてそこ(羽生さんやチェン)にたどり着けたかは分からないが、僕なりの全力のスケート人生を送れた」と胸を張った。 今後は第一線を退くが「最善を追い求めていきたい」とプロとして自身のフィギュアスケートを磨き続ける。切磋琢磨(せっさたくま)してきたスケーター、後輩たちには「まじでいい子しかいない。自分が目指しているスケートを体現できる選手が一人でも多く現れてくれたら」。最後にスケート界の明るい未来を託した。(小林 玲花) ◆宇野 昌磨(うの・しょうま)1997年12月17日、名古屋市生まれ。26歳。5歳の時、浅田真央さんに声をかけられ競技を始める。2016年4月に国際スケート連盟公認大会で史上初めて4回転フリップ成功。五輪は18年平昌五輪銀メダル、22年北京五輪は団体銀メダル、個人銅メダル。22、23年世界選手権連覇。全日本は6度優勝(16~19、22、23年)。 ◆昌磨に聞く ―数々の結果を残した。 「テレビで見ていた五輪でいい成績を残せるとも思っていなかった。世界選手権で優勝する選手になれるとも思っていなかった。本当にフィギュアと出会えて感謝とともに驚きのことばかり。自分のことなので褒めちぎりたくはないが、本当に素晴らしいことを成し遂げることができた」 ―所属の「トヨタ自動車」豊田章男会長の存在は。 「成績がよくない時もたくさん心配していただき、いい時も喜んでいただいた。(色紙に)豊田会長の名前を書く時があって、カタカナで書いてしまって…。それでも笑って『こういう名前だから、覚えて帰ってね』って。優しいです」 ―セカンドキャリアは。 「僕もようやくその年になったんだなと思う。フィギュアだけ全力でやってきて、もちろんゲームも全力でやってきたんですけど(笑い)。競技から離れた分、ゲームにも費やす時間も増えるかな」 ―新しい内容の仕事は? 「今後のことも含め、いろんな経験をしたいな、しなきゃいけない。この場なので『いろいろやりたいです!』。お時間が合えば…」
報知新聞社