<太田垣康男>初のファンミーティング 「機動戦士ガンダム サンダーボルト」制作秘話 「ダグラム」を描く理由
マンガ「機動戦士ガンダム サンダーボルト」「MOONLIGHT MILE」(小学館)などで知られるマンガ家の太田垣康男さんの初のファンミーティング「初開催!太田垣康男 ファンミーティング 30th aniversary of YASUO OHTAGAKI WORKS」が3月9日、ロフトプラスワン(東京都新宿区)で開催された。1993年に初のコミックス「王様気分で行こう」(双葉社)が発売されて、30周年を迎えたことを記念したファンミーティングで、マンガ家としての軌跡を振り返りつつ、「機動戦士ガンダム サンダーボルト」「MOONLIGHT MILE」の制作秘話を語った。 【写真特集】「サンダーボルト」ガンダムMk-II登場 衝撃、話題のビジュアル
◇転機になった「MOONLIGHT MILE」
ファンミーティングには「機動戦士ガンダム サンダーボルト」などの装丁を手掛けるデザイナーの関善之さん、太田垣さんの“作画パートナー”の桜水樹さん、umegrafixさん、模型メーカー「マックスファクトリー」のMAX渡辺さん、「機動戦士ガンダム サンダーボルト」の担当編集らが登壇した。
1967年生まれ、大阪府出身の太田垣さんは、19歳の時に上京し、歌手の渡辺美里さんのヒット曲「My Revolution」を聴いたことをきっかけにデビュー作「My Revolution」(双葉社)を描いた。「一平」(双葉社)や「一生!」(講談社)などの連載を経て、「当時30歳を過ぎていて、後悔しないように好きなことをやろうとした。当時、青年誌はロボット、ファンタジーマンガはあまりなかった。ダメ元で挑戦した」という「東方機神傳承譚ボロブドゥール」を連載したが、連載誌が廃刊してしまった。
その後、「宇宙ものに挑戦しよう」と2000年に連載をスタートした「MOONLIGHT MILE」がヒットし、アニメ化もされた。同作が転機になったといい「第1話を書いた時がマンガ家としての転機になりました。幅が広がった。ちょっと恥ずかしがり屋でして、それまでベッドシーンが描けなかった。最初に40ページくらい描いてのですが、それではこれまでと変わらない……と散々悩んで、ベッドシーンから始めたんです。人間の衝動をどう表現するのか?と考えました」と明かした。