【コラム】「リベラル」はどこへ行ったのか? 政治家・江田三郎に学ぶ理念
江田三郎に学ぶ「リベラル」の理念
江田は記す。「人間の可能性を未来に向かって開花させるのが社会主義であるならば、私たちは、日本における社会主義のビジョンをつくるために、まず現代世界において、人間は現在でもすでにこれだけのことはできるのだ、ということをはっきりさせなければならない」。これはいまの「リベラル」の人たちが掲げるべきことと、同じことではないか。 「人間のすでになしうるはずのことが、あまりにもこの日本において実現されていないという現実も明瞭になる。その原因が何かを知り、それを妨げているもの、それを妨げている日本の社会の仕組み、すなわち人間の前進の道をはばむものに対して確信と希望にもえてたたかうこともできるはずだ」。 現実の問題点を考え、それを改良しようとする考え方は「構造改革派」と呼ばれた。江田は「社民主義者」と非難された。しかし、その非難が当時でいう社会党の考え方、いまの政治の流れでいえば「リベラル」の考え方が広まらず、右傾化の一因となったのではないか。 江田は、社会党を去ったのちの著書『新しい政治をめざして』(日本評論社)の中で、社会民主主義について「終着駅のない改革の思想である」とのべている。いまや共産党も社民党も、このあたりのポジションに収まっている。立憲民主党も、だいたいこのあたりのスタンスになっていくだろう。また、「社会主義運動とは、人間優先の理念にたって、現実の不合理・不公正の一つ一つをたたき直してゆく、終着駅のない運動のトータル」としている。 このあたりは、現実の日本社会でも、受け入れられる考え方ではないか。 「保守」を掲げる人たちが、政治の世界ではあまりにも多くなりすぎてしまった。だがしかし、いまの日本でそれに対抗する「リベラル」の人たちは必要だ。その人たちには、江田三郎の考え方から学ぶものは多く、国民の多くも本来ならば共有すべき価値観ではないか。 (ライター・小林拓矢)