【コラム】「リベラル」はどこへ行ったのか? 政治家・江田三郎に学ぶ理念
総選挙に向けて、政党の再編が進みつつある。鍵となっているのは「希望の党」だ。民進党からやってきた人たち、新たに立候補する人たちが、小池百合子代表のもと、選挙に出ようとしている。
「リベラル」はどこへ行ったのか
この党のキーワードは「寛容な保守」だ。だが、民進党にはもともと保守的ではない「リベラル」の流れもあった。民進党の支持者には、こちらの側の路線を支持していた人も多い。 そんな人たちは、枝野幸男代表の「立憲民主党」に集まっている。民進党の中でも比較的リベラル層から支持を受けていた枝野は、希望の党の「リベラル排除」の流れを受け、希望の党で受け入れてもらえなかった、あるいは希望の党のものの考え方に納得ができなかった候補者を集め、「リベラル」の流れを作り出そうとしている。 与党第一党・自由民主党は「保守」を掲げ、多くの候補者を立候補させようとしている希望の党も、「保守」を掲げる。「リベラル」はどこへ行ったのかと、考えてしまう人も多い。 日本では、「リベラル」はあまり人気がない。「リベラル」とは別の概念の「左翼」も人気がない。ただしこの2つはいまや一緒のものとして扱われ、そして蔑視の対象とされることが多い。「リベラル」にしても「左翼」にしても、好景気と言われつつ格差が広がり、排外主義などのナショナリズムが高まっている現在、再考の必要性のある政治的な考え方である。
55年体制時に理念を提示した江田三郎
江田三郎という政治家を、ご存じだろうか。参議院議長を務めた江田五月の父親、といったほうが通りはいいかもしれない。1960年代、江田三郎は左右対立の激しい日本社会党にあって、「江田ビジョン」という独自の理念を打ち出し、多くの人の支持を集めた。 党内では教条的な左派により激しく批判され、党内の主流にはなり得なかった。いまでも、もし社会党が江田の考え方を基軸に置いていれば、多くの人の支持を集められ、解体にまで追い込まれなかっただろうと考える人は多い。 江田は、1962年10月9日号『エコノミスト』(毎日新聞社)に「社会主義の新しいビジョン」という論文を発表し、日本の社会主義はどうあるべきかを論じている。 中国やソ連の社会主義のあり方を問題視し、それとは異なった社会主義のあり方を提示しなくてはならないとする江田は、「わが党こそ社会主義のビジョンをあきらかにする責任をおわねばならない」として、国民に理解されやすい社会主義のあり方を示している。 江田は、あるべき社会主義を考える上で必要な成果として、4つの要素を提示する。「米国の平均した生活水準の高さ、ソ連の徹底した社会保障、英国の議会制民主主義、日本の平和憲法」である。ソ連はいまやなく、その他のものもいまや揺らいでいるものの、当時としては世界で成功しているものばかりであった。当時の米国は労働組合運動によって生活水準は向上し、ソ連は社会主義国家として社会保障を充実、英国は人間の基本的な権利として議会制民主主義を大事にし、日本では平和運動がさかんだった。 これらの理念は、いまの日本でも十分に通用するものではないか。生活は厳しくなり、社会保障はわかりにくく、安倍政権は議会制民主主義を軽視し、天皇陛下がいくら平和憲法の大切さを訴えても、9条を改正しようとする動きは続く。そんな日本だからこそ、再考すべき理念ではある。