ドラフト1週間前に「指名できなくなった」 オリ獲得の噂も…“意外な球団”から届いた吉報
広島から9巡目指名「えってなりました」
“本命”の球団が消えたなかで、天谷氏が想像していたのは、当時、一部の選手に対して“契約金ゼロ枠”を設けていたオリックスからの指名だった。「本当かどうかはわからないんですけど『その枠でオリックスがとるって噂があるぞ』って聞いていたんです」。2001年11月19日のドラフト会議当日は福井商の視聴覚室で待機していた。そして、9巡目で全く予想していなかった広島から指名された。 「もうほとんどの球団が指名を終了していましたから“お願いします”ってしか考えていなかった時でしたけどね。最初、母親の知り合いが広島カープだったと言っているって話が来て、そんなの嘘やろって思っていたら本当にカープだという連絡が入って、ワーってなったって感じでした」。育成ドラフトがなかった時代。その年のドラフトで9巡目指名をしたのは広島、阪神、オリックスの3球団。阪神は9巡目で終わり、広島は10巡目、オリックスは15巡目まで指名した。 状況からしてもオリックスしかないだろうと思えたなかでの広島からの指名だった。「カープのスカウトの方が何回か見に来てくれているというのは知っていましたが、指名はびっくりでした。えっ、てなりました。予想も何もオリックスだけだと思っていましたから。めちゃくちゃうれしかったですよ。普通に評価されてのことだと思いましたし……。順位とかも何位でもよかったですからね」。 その上で天谷氏はこう付け加えた。「聞いてみたかったなと思いました。“広島東洋・天谷”って呼ばれた瞬間を。あの当時は、見ることとかできなかったですからね。もし(当時の映像が)あるんだったら、見たいですねぇ」。入団交渉もスムーズに進んだ。もちろん契約金はゼロではなく「それもありがたかったですね」。背番号は69に決まった。「広島・天谷」の誕生だった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi